Sassy Tomo トーチカライブ 番外編|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所|大阪の建築構造設計事務所

トーチカ通信

[ 2025.02.25 ]トーチカのイベント

Sassy Tomo トーチカライブ 番外編

ここでは「Tomoさん」ではなく、幼馴染の「ともこちゃん」のことを書きたい。桜宮幼稚園では同じ組だった。この写真は参観日の発表会風景。指揮をしてるのがともこちゃん。左の前でドラムを叩いているのが私。

指揮者のともこちゃんと、ドラムの私

小学生になると、家がすぐ近所だったから、お互いの家を行き来してよく遊んだ。私の家には小さな木製のおもちゃのピアノがあった。私が♪むーすーんで、ひーらいーて♪と歌いながら弾くと、ともこちゃんが「私にも弾かせて」と言って弾き始めた。すると全然違う♪むすんでひらいて♪になった。子どもながらに、違いがわかった。隣の部屋にいた父にも聞こえたようで、「ともこちゃん、上手やなぁ」と言いながら入ってきた。ジャズのようなリズムの素晴らしさを褒めて、楽しそうに聴いていた。つまり、そんな小さな時から、ともこちゃんのピアノは別格だったのだ。

3年生になると、世の中はグループサウンズの全盛期だった。私たちはジュリー(沢田研二)とショーケン(萩原健一)が好きだった。部屋を真っ暗にして、勉強机の電気スタンドをスポットライトにして、グループサンズごっこをした。ともこちゃんがショーケンで、私が観客。歌は『エメラルドの伝説』。ともこちゃんは、さらさらの髪の毛を目の上にバサッと垂らして、うつむきながら静かに歌い始めるのだけど、突然、髪を振り上げて、♪会いたい~、君に会いたい~♪と腕を伸ばしてシャウトするところで、私はいつも「キャー~!」と叫んで失神する。同じことを、何度も繰り返して、笑いこけた。

それから時が流れ、私たちは20代になっていた。大人になったともこちゃんを久しぶりに見たのは、梅田の「バナナホール」だった。お母さんが、「智子がこんなことしてますのよ」と言ってチケットを家まで届けて下さったのだった。バンドの名前はファンカビリティ。ウエーブのかかった長い髪を肩まで垂らし、真っ赤なタイトのミニスカートでローランドの電子ピアノの前に立つともこちゃんは、滅茶苦茶にカッコよかった。キーボードをギターのように肩からかけて、ステージの前に出てソロで弾くところで、私は「ともこ、ちゃ~ん!」と絶叫した。私たちは3年生の時からそのまま大きくなっていた。

ファンカビリティのステージ。『キーボード・マガジン』の記事から

その後、ともこちゃんはヒューマンソウルのメンバーになり、TVにも出演するほどの一流のキーボードを演奏するミュージシャンになっていった。

それからまた月日が流れ、50代になった私たちはゆっくりと再会した。ともこちゃんのお父さんが繋いで下さった再会だった。2012年と2013年に、トーチカで民芸展を開催したことを覚えておられるだろうか。このブログにもたくさん書いたので、ぜひ当時の記事を読んでください。この民芸展の主催者、民芸研究資料室の平田栄三郎さんが、ともこちゃんのお父さんなのである。

民芸展2012年

民芸展2013年 時計の真下の男性が平田栄三郎さん。その左隣がともこちゃんのお母さんで、平田礼子さん。

何万点とある膨大な民芸のコレクションを整理するため、少しの間、桃李舎のモータープールを倉庫がわりにお貸ししていたことがある。その時に、手伝いに来たともこちゃんに会ったのだ。お互いに高齢の両親がいて、独身だった。ともこちゃんは、柔らかい雰囲気をまとっていた。最近はピアノだけでなく、歌っていると言っていた。それをきっかけに、またライブハウスに通ううちに、会っていなかった空白の時間が埋まっていった。

時を前後して、私たちはそれぞれに両親を看取り、私は結婚した。モータープールでの披露宴では、『ラヴィン・ユー』をピアノを弾いて歌ってくれた。間奏で、「ようこちゃん、ずるいよ、先にお嫁にいくなんて」と歌いながら。

小橋川仁王さんの水差しと壺

つい先日、ともこちゃんが晩御飯を食べに我が家に来た。1階のトーチカの奥に作ったばかりの事務所も見てほしいから案内すると、ともこちゃんは、私の仕事場に入るなり、机の横の飾り棚に直行して、「なんでここにあるの?」と小さな水差しと小瓶を手に取った。

それは民芸展で平田さんから譲ってもらった品物だった。「やっぱり!小橋川仁王さんのだ」と驚いている。それからその作者のことを教えてくれた。とてもいいものらしいのに、私はその値打ちが全くわかっていなかった。ただ好きだから分けてもらった。ものすごく低価だった。そういえば、平田さんは「これは大事にしてください」と言われていたことを思い出した。

ともこちゃんは、音大に行ったあと、芸大で民芸の勉強もしている。卒論のテーマは沖縄の焼き物で、平田さんのコレクションをまとめている。それは大学にとっても貴重な蔵書になったという。

棚の水差しを手にとって、「小さな花を挿して使って」と言った。平田さんもよく、民芸は日常の暮らしで使うために作られたものだから、飾らないで使ってくださいとおっしゃった。だから、仏壇のお花を換えるときに、小菊を残して差してみた。

ともこちゃんは今、平田さんとご縁のあった民芸の作家を尋ねて、旅をしている。美術館にも気になる催し物があれば、遠方でも足を運ぶ。精神性のある美しいものを見る目は確かだ。歳を重ねて、たくさんの経験をして、心がふかふかに耕されたから、人の心に届く歌が歌えるのだと思う。華やかな世界にいても、地に足をつけて活動しているのは、ご両親の影響だと思う。

そういえば、先日のハンドパンライブがあった日は、期せずして、平田さんが初めてトーチカに来られた13年前の同じ日だった。ともこちゃんが座って歌ったトーチカの窓辺の同じ場所に、平田さんが座られていた。私のブログでそれに気づいて泣いたと言って、「これから歳をとったら、助けあえるようにパパさんが仕組んだと思うわ」と私を見つめた。そうかもしれない。私の両親もきっと喜んでいる。

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民芸展2013年と2012年のブログはここから。