トーチカ民芸展の顛末 (最終回)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2012.05.21 ]トーチカのイベント

トーチカ民芸展の顛末 (最終回)

近所を歩いているおばさんの手元をふと見ると、民芸展で展示していた籐の買い物籠を提げておられて、ふふふとなる。忘れ物を届けに行ったお家の玄関には、さっそく、丹波の立杭焼の壷が飾られていて、胸がぽっと暖かくなる。

そして昨日、この手書きの案内状を持って、同じ町内の佐藤ふみ子さんが家に訪ねてこられた。大正生まれの私の大好きなおばさんである。お話はこうである。

2日間、民芸展で、長いことお見かけしなかったみなさんとお話できて、これは大変いいことだなと思った。そのときに戦争の話になった。このあたりは1945年6月7日に、米軍機による空襲で焼け野原になった。まだみんなが元気なうちに、焼け出された当時の話をしたいと思うのだけど、トーチカを貸してもらえないだろうか。

ぜひ、使ってください!ということになって、さっそく、佐藤さんと父が打ち合わせを始めた。民芸展に来られなかった方には、ビラだけでなく、誘いにいこうと話している。お互い、いつ、あちらの世界に行くことになるやもしれず、善は急げということらしい。

祖父が生きていた頃、6月7日になると、必ず空襲の話をした。それと終戦の前日の8月14日、大阪砲兵工廠が壊滅した大阪大空襲の日にも。その親睦会には私も末席に座って話を聞きたい。

こんな風にご近所の方から、企画を持って来てくださるのは初めてである。こんなに嬉しいことはない。みなさんが、なごまれて、遠い昔の話をされたのは、たくさんの民芸に宿っていた霊の力ではないかと思う。

案内文には「トーチカ」という名前も入っている。それが嬉しい。ロゴのデザインは迷ったけど、アルファベットでなく、カタカナにしてよかったとつくづく思った。