トーチカ民芸展の顛末 (その5)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2012.05.21 ]トーチカのイベント

トーチカ民芸展の顛末 (その5)

桝田洋子様
昨夜は「店じまい」を襲った上に、ご馳走にまで預かり、ご迷惑も顧みず、長居をいたしてしまいました。徳利は水入れに換わって台所に陣取っています。3種類の水を使っていますから、もう1本、必要でちょうどよかったです。こけしはデスクトップの上の棚を飾っています。シーザーはネパールの卓上カレンダーを脇によけて陽射しのそそぐ机に置きました。小さな壺は韓国や中国の「醤/ジャン」を入れてみます。それぞれに持ち場を考えてやらねばならず、しばらく頭をひねって楽しめそうです。               泉原省二

泉原省二様
トーチカの机の上に残っていた民芸品は、ダンボール箱に詰められて、しばらく冬眠することになるはずでした。それが新天地を得て、命を吹き込まれ、早くも暮らしの中で息づいている様子、嬉しいです!1週間ほど預かっただけですが、特にこけしには情が移って、貰われることなくじっと待ってる様子を見てるのが切なかったのです。民芸展が終わったあとで、こんな風な、しみじみとした幸せな気持ちを味わうことになろうとは思っていませんでした。両親も同じ気持ちです。毎日、用もないのに、トーチカで、1時間以上は眺めて暮らしていましたから不思議な気持ちです。

いただいたメールを読んでいると情景が目に浮かびます。パソコンのモニターの前で苦悶する主人の顔を眺めるこけし人形。留守のときには、静かな部屋で仲良く並んで帰りを待っているのでしょう。井戸水で満たされた徳利。豆板醤を詰められた壷。

日常の暮らしで用いられてこその民芸です。鑑賞用に棚に飾られるのではなく、毎日、人の手で触れられ、使い込まれてゆっくりと美しさを増していくのでしょう。それは、土や木や繊維という自然素材を名も無き職人が、心をこめて作ったものだからなのでしょうね。それが民芸の力なのでしょう。・・というようなことを実感することができたのは嬉しいことです。
桝田洋子

桝田洋子様
・・・略。いわば河井寛次郎のような立派な「民芸家」が出て、単なる職人技の生活用品が芸術作品になりましたし、柳宗悦などが民芸を理論から運動へと押し上げて、朝鮮や日本の生活用品を骨董品化し、庶民のものが庶民では手の出せなくなるほどの高騰を招きました。「功罪相半ばする」と申すべきでしょう。大量生産による民芸品の絶滅を救ったのは確かですが、人件費の高騰が、民芸品を芸術品にしないことには、作り手がいなくなる、作り手が生活できなくなる、といった悪循環を生んで、素朴な味わいの民芸品が姿を消しました。生活に息づき、手の届くところに置かれた民芸品が消えてしまったのです。これに取って代わったのが100円ショップの「ゴミ」です。使っては、というより、多くは、使われることもなく捨てられます。あんなものに愛着などわきませんから。便利さを追い求めた結果ですね。割れたり壊れたりするものより、そうでないもの、時間をかけるよりも、かけないものが重宝がられます。

そして驚くべきことに「高いものより安いもの」という便利さと無関係のものが、「安物より高いもの」という南北問題と生活格差を生んでいます。悪しきグローバル化のなせる結果でしょうね。多少、質が悪くても、作り手を支えるような生活態度が生まれると、民芸というものが生まれ変わり、世の中の拝金主義にも歯止めがかかるのでしょうけど、政治が経済しか語らなくなった世界では、民芸は、ただ個人的な趣味の範囲になります。金のある人が民芸品に手を出すと、「悪貨は良貨を駆逐する」という現象が起きます。民芸品に限らないのですけど。これくらいにして、いつかまた、お話いたしましょう。        泉原省二