『「プガジャ」の時代』 (その2)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2012.06.25 ]本・映画・演劇・美術・音楽

『「プガジャ」の時代』 (その2)

80年代になって、「ぴあ」のような雑誌が情報を記号化、インデックス化していく中で、「プガジャ」の生身の人間と人間との付き合い方や、つながりを大事にするという方針は、時流に合わず、プガジャが衰退していく要因になるのだが、未来にもし情報誌というものが残るのであれば、それはプガジャのスタイルではないだろうかという話が紹介されていた。それは第5代編集長の村上知彦さんの80年代半ばの総括である。この本は、公開での対談を文章化してあるのだが、1951年生まれの村上さんの話はとてもよくわかる。

実際、ぴあ関西版は2010年、ぴあ首都圏版は11年に発行を終了した。今はスケジュールガイド的なものはネットや携帯で簡単に手に入るようになった。そこでは不要な情報がノイズのように紛れ込むことが少なくなっている。

ではプガジャ的なものはどうなったかというと、ブログやフェイスブックというネットでのコミュニケーションがその役割を果たしているのではないかと村上さんはいう。個人が勧める面白いもの、個人対個人、個人対不特定の個人に発せられる情報はプガジャ的だ。

「デジタル化にどんどん向かいながら実はアナログを求めているのではないか」ということは、自分でこの「トーチカ通信」を書きながら実感していることだ。

次の言葉も村上さん。
「肉声に近いものがどこかにあり続けて、実はなんとなく次の方向性みたいなものを示す矢印になっていくのかなという気はずっとしてますけどね」
「こんなイベントがあるよというのは情報としてわかっても、それを誰から聞いたかというのは、明らかにニュアンスが違いますよね」

「トーチカ通信」を書き始めた頃、パブリックな場で、プライベートな想いを表現する文体がわからなかった。書き始めて、伝えたいものが、こんなに自分の中にあるということに驚いた。伝えたいという気持ちが強くなると、だんだん書きやすい言葉のリズムがつかめてきた。そしてこの本を読んで、ブログの位置づけががようやくわかってきた。

この本でプガジャに再会し、昔の自分にも出会った。読んでいるうちに、大阪人の底力が沸きあがってきた。確かに大阪人のDNAは、中央郵便局の保存運動や、水辺再生のプロジェクなどでがんばっている仲間の中に受け継がれているのを感じる。そして私の中にもある。巻末にプガジャ創刊号の発刊の辞が収録されている。その中の「編集のポイント」を次に抜粋してこの本の紹介を終わる。