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トーチカ通信

[ 2012.07.30 ]本・映画・演劇・美術・音楽

プリピャチ

十三の第七藝術劇場で観てきた。プリピャチはチェルノブイリ原子力発電所から4キロ離れた街の名前である。監督はニコラウス・ゲイハルター。映画は1986年の原発事故から 12年後の街の様子を撮ったものである。

事故の後、原発の周辺30キロメートル圏内は、立入禁止区域「ゾーン」と呼ばれ、許可なく入ることができない「管理されたゴーストタウン」と化している。「ゾーン」は有刺鉄線で覆われたフェンスで区切られ、兵士が区域内に入るすべての人々をチェックし、厳格な監視下に置かれている。映画は、原発や関連施設で働く人々や、許可を得て帰還した人々など、プリピャチの立入禁止区域で生きる人々を、ナレーションや音楽を排し、モノクロの映像で記録している。

この撮影の時点で、チェルノブイリの原発(3号機)が稼動していることに驚いた。最終処理の人員も含めて15,000人ほどが交代で働いている。また「ゾーン」内の環境研究所では放射能の影響を研究する人たちもいる。研究者の一人の女性が施設を案内してくれるのだが、自分が「ゾーン」で働くのは若い人たちに来させたくないからだと言っていた。

30キロ圏内の「ゾーン」は、コンパスで描いた境界であり、現実の土壌汚染とは対応していない。そこに今も暮らす人たちがいる。避難場所から93年に帰還した老夫婦が紹介されていた。彼らは覚悟の上で、放射能に汚染された水を汲み、魚を捕り、自分たちの畑でとれた作物を食料としている。「ここで生まれ、ここで育った。年寄りの私たちに放射能が何をするっていうんだ」

外部のものが、「ゾーン」という言葉を口にするとき、そこには忌み嫌うもの、得体の知れない恐怖というニュアンスが含まれている。しかし、そこに暮らす人々は怒りを含んでこう言う。「ここはゾーンではないわ。プリピャチよ」

「ゾーン」という言葉を聞いたとき、アンドレイ・タルコフスキーの映画『ストーカー』を思い出した。厳重に警戒された謎の「ゾーン」と呼ばれる区域に3人の男が侵入する物語である。これは1979年、事故前の作品であるが、プリピャチを観ている間、『ストーカー』がずっと重なっていた。

福島の南相馬市小高区は原発から15キロ圏内だが、先日、津波で荒れた土地に立ったとき、やはりタルコフスキーの映像を思い出した。第七藝術劇場では、もう1本、『相馬看花』を見た。続いて紹介し、福島のことを書きたい。