相馬看花 -第一部 奪われた土地の記憶-|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2012.08.03 ]原発・福島・東北

相馬看花 -第一部 奪われた土地の記憶-

1979年生まれの松林要樹監督が撮った、福島のドキュメンタリー映画である。2011年4月3日。東京の3畳間のアパートに暮らす監督は、救援物資を運ぶ友人と南相馬市に向い、そこで市会議員の田中京子さんと出会う。

田中さんは1953年生まれ。家は南相馬市原町区江井(えねい)地区にある。福島第一原発から20キロ圏内にあり、津波と放射能汚染と強制退去で様変わりした地区である。今は原発から40キロ離れた相馬市の高校の教室で避難生活を送っている。監督は田中さんに同行し、カメラをまわす。

ある日、無人になった江井地区の自宅付近をパトロールする田中さん。泥棒に窓ガラスを割られた家々を見つけては、避難所の住人と警察に電話で知らせている。

またある日、共同経営をしていた直売所の様子を仲間の二人の女性と見に行く。店は無事だった。食品、衣料品はそのままで、切花も枯れずに残っている。必要なものを車に運ぶ際に、切花の束も積み込んだ。海辺を走る車が静かに止まる。仲間の遺体が見つかったという場所に、さっきの花を供えて手を合わせる3人。降り出した雨がうつむく背中を塗らしている。

次に田中さんが向かうのは、体の不自由な妻の世話のために、非難勧告が出たあとも自宅で暮らす老夫婦の家。水も電気も止まっているが、炭でご飯を炊き、お酒だけが今の楽しみと笑顔で話すご主人。しかしその夫婦も強制退去で体育館に移ることになった。

避難所には24年間、市会議員を勤めた末永老人が、原発ができた当時のことを賢者のような表情で静かに話す。「周辺の市町村同士の連携はなく、反対派は共産党とみなされる風潮があった。・・・東北とはこういう一面がある」「こんなことになるとわかっていれば、命がけで反対した。・・原発に対して無知だったわけだ」

高校の避難所が閉鎖されて、移った次の避難所は温泉ホテル。そこには一般の観光客もいる。戸惑いながら「我々の来るところでねえな」とぽつりとつぶやく末永さんの横顔。

警戒区域になって封鎖される前に、田中さんのご主人が行きたいところがあるという。原発から15キロの小高区の小高神社だ。田中さん夫妻が結婚式をあげた神社である。手をあわせて祈る田中さんの声が震える。拝殿のまわりには、みごとな桜が咲いている。

そのときの福島で起こっていたことが、特別な編集も音楽もナレーションも無しに、時系列に沿ってスクリーンに映し出される。怒る人も、泣く人も出てこない。のんびりとした福島の言葉で話す人たちの笑顔に、逆に心が締め付けられる。早春の穏やかな陽光の中を、白い作業服を着てマスクをつけた作業員をのせたバスが、検問をくぐって第一原発に向かっていく。貴重なドキュメントである。十三の第七藝術劇場で8月10日まで。