第23回 地下発電所 「日本と中国」 (上)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2012.11.04 ]地下発電所

第23回 地下発電所 「日本と中国」 (上)

地下発電所はゲストと参加者の組み合わせや人数によって雰囲気ががらりと変わるのが面白い。「出席」の返事が届くのは、トランプが配られるのと似ている。1枚ずつ手元に増えていくトランプの絵柄を眺めながら、今回はどんなゲームになるかなと想像するのは楽しい。

さて、今回のゲストは中国から日本に帰化された高杉依里さん。1961年北京生まれ。フリーの通訳・翻訳家である。テーマは「日本と中国」。「そのテーマなら、予定を調整してでも参加します」と返事が来たのは泉原省二さん。泉原さんは一時帰国を含めて1985年~2004年、ハルピンの大学で客員教授として日本語を教えた日本語の研究者である。

会は、高杉さんの話の区切りのいいところで、泉原さんがその背景にある中国の歴史や事情を解説するという、重層的な展開になり、思いもよらない深い話が聞けた。中国の現代史を駆け足で通り抜けたという感じだ。予備知識が乏しいので、完璧に理解できていないのが残念である。

高杉さんは1987年に留学生として来日して25年。日本で1/4世紀を過ごした。帰化したのは2001年。ご主人も中国人なので、高杉という苗字は二人で字画を調べて、好きな名前を考えたのだそうだ。

高杉さんが北京師範大学に進学したのは1980年である。鄧小平(とうしょうへい)が3度目の失脚から返り咲き、文化大革命(1966~1977年)で疲弊した国家を立て直すために「改革開放」を打ち出したのが1978年である。「改革」は古い計画経済から市場経済への移行。「開放」は外国に対する開放を示す政策である。彼女はその先頭を切って大学に入学したことになる。

たとえば、そのような話のあとに、泉原さんの次のような解説が続く。

1966年から10年間続いた文化大革命の終結後、1978年から1979年にかけて、「北京の春」と呼ばれる民主化運動が起こった。北京で花開いた言論の自由を象徴するものに「北京の壁」と呼ばれるものがある。北京の「西単/Xidan」地域に貼られた壁新聞「大字報」が最も有名。文革が終わったばかりで、はじめ鄧小平の率いる共産党は干渉しなかったが、1979年3月末、魏京生(ぎきょうせい)が「民主主義か、それとも新たな独裁か」という壁新聞を張り出し、鄧小平の逆鱗に触れて、弾圧されるようになる。

鄧小平の下で、総書記として改革・開放を主導した胡耀邦(こようほう)は、民主化運動に理解を示していたが、保守勢力によって失脚し、1989年に死去する。胡耀邦の追悼集会が民主化を叫ぶ学生デモとなり、天安門事件に発展した。彼が死ななかったら、天安門事件は起きなかった。

という具合である。約2時間、お二人から交互に話を聞いたので、とても濃密な話になった。歴史の部分はとてもここに書き切れない。(続く)