[ 2013.02.21 ]憲法・平和
「軍産複合体」は遠いアメリカの話ではない。トヨタやウシオ電機の会長らが憲法9条「改正」の旗振りとなっている理由は、自動車、通信、IT産業などが、軍事同盟の強化や、日本の軍国化によって、軍需が拡大することを望んでいるという考え方もできる。新しい日本の「軍産複合体」の形成につながるという可能性は十分あるのだ。
憲法9条の改正に、財界から反対の声は聞こえない。原発産業に代わる新たな軍需産業。想像すると、恐怖が忍び寄ってくる。原発の誘致は、国民の幸福とかけ離れた、まったく違う論理でものごとが決められてきた。軍需産業はそうはさせない。夏の参院選挙で、何としても安倍政権にNOを突きつけないといけないが、果たしてできるだろうか。
映画を観終わった後、一人ずつ順番に感想を話した。初めて観た私は、驚きと怒り、そして改憲を目指す安倍政権を再登板させてしまったあせりで、動揺していた。ところが、若い人たちの反応が鈍い。自分たちの力が及ばないところで大切なことが決定されていくことへの無力感。「変えられない」という絶望のようなものは言い表されるのだが、静かで、怒りが表れてこないことに驚いた。
年配の泉原さんが、「100匹目の猿」の話をされた。私も聞いたことがあった。ウィキペディアには、「ある島に棲息する一匹の猿がイモを洗って食べるようになった。同じ行動を取る猿の数が100匹を超えたとき、その行動が群れ全体に広がり、さらに場所を隔てたところの猿の群れでも突然この行動が見られるようになった」とある。「ある行動、考えなどが、ある一定数を超えると、これが接触のない同類の仲間にも伝播するという現象」を説明している。この「100匹目の猿」は、実証された話ではないというオチがあるが、たとえそうだとしても、希望を感じさせる話である。
つまり、たった一人でも、絶望せず、あきらめてはいけないということだ。
この映画は「モンサントの不自然な食べ物」にも、「原発」にも繋がった。食料の世界支配も、エネルギー支配も構図は同じである。
私たちは微力だが、できることはある。消費者としてできることは悪質な企業の商品を買わないこと。良質な企業の商品を買って支援すること。生活者としてできることは省エネの暮らし、選挙民としてできることは投票による政治参加。市民としてできることはデモや集会、署名による意思表示。この映画を見て、憲法改正を許してはならないという気持ちはますます強くなった。