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トーチカ通信

[ 2013.03.12 ]原発・福島・東北

2年目の3月11日に

日々、得がたい経験をしているのに、ブログを書く時間が全く取れない。でも、3月11日の日記には、少しだけでも今の気持ちを書いておこうと思う。

昨日、友人が、震災直後に日記を書いていたことを教えてくれた。読み返すと、「もうこれまでと同じように建築は作れない」というようなことを書いていたと言う。私も日記を書いていた。私も彼女と同じように、難しい構造計算が必要な建築を作る時代はこれで終わったと思っていた。2年経った今、そうはなっていないけれど。

私の日記はトーチカが完成した2011年7月13日で終わっている。2011年の春、黙々と体を動かしてトーチカを作る作業は祈りのようだった。完成した日、私はここから新たに生きていくのだと書いた。

クリスチャンであるから、日記には聖書の言葉をたくさん書き写している。清潔な心持ちで働き、トーチカで作業をしながら日々を送っていた。今も贅沢な暮らしはしていないが、震災直後のようなストイックな感じは薄れている。

政権が変わって、震災が既に「記憶」という言葉で語られ始めた。急速に社会は震災以前の世界に戻りつつある。そんな中で、私自身の、「それは違う」と感じる感性や、ここではない場所、ここから離れたところで暮らす人々への想像力が鈍ることが怖い。「一人でもやる。一人でもやらない」という実行力が鈍るのが怖い。

鈍くなりたくないから、一昨日の3月10日、先に書いた友人と水俣を訪れた。いろんな偶然と人との縁が重なって、ちょっと大げさな言い方をすれば、「行くのだ」という啓示のようなものを受けて出かけた。

水俣病の問題は、原発の問題と似ている。水俣で起こったことは、きっと福島で繰り返されるから、今、知っておかなければいけないと思った。水俣病は現在の問題として捉えるべきである。難しいけれど、次回以降に、見て考えたことを書いてみる。