[ 2013.03.17 ]森・里・海
先月、東京で仕事があるので「夜会える?」と友人にメールすると、次のような返事がきた。
“年賀状のやりとりがきっかけで『じゃあ会いましょうか』ということになった年上の友人と飲む約束をしています。こっちに合流しませんか?その人は百武充(ひゃくたけ・たかし)さんといって、永年、環境庁のパークレンジャーをされていた鳥博士です。鳥のように敏感でシャイな方です”
こんなメールを読んで、私の心が動かないわけがない。「では渋谷で」となった。百武さんをネットで検索すると、「生きものの風景」という著書があった。
さっそくその本を、遠出をした折のローカル線の車中で読んだ。著者が森や川で出合った鳥や昆虫たちとの心に残る思い出が書かれていた。抑制の効いた文章の調子に、心を合わせるように読み進むと、雪が溶け始めた奥入瀬に春を告げるコガラのさえずりや、奥秩父の孤独な闇にわたるヨダカの遠い声が、あたかもそこにいるかのように聞こえてくる。
自然の中に暮らす小さな生き物は、著者の親しい隣人である。著者に生きる喜びを教え、傷ついた心を慰める。小さな隣人は科学的な正確さで描かれているが、観察する眼差しは優しく、瞳の奥の深い内省が、読み手の心に流れ込んでくる。ときどき本から目をあげて、窓の外の雪景色を眺めた。自然への畏敬の念は、文章に祈りのような静けさをもたらし、その静けさの中で、自分がとても謙虚な気持ちになっていることに気づいた。
約束の日、1時間遅れで渋谷の居酒屋に着いて、小さな個室の扉を開けると、百武さんは、鳥のようにはにかんだ会釈をして下さった。友人の横に座ると、テーブルの上のお料理より先に、横の棚に表紙をこちらに向けて並んだ6冊の本が目に入った。友人が年賀状で百武さんに、「ローレンツやカーソンの後を継ぐ者はいるのか」ということを書いたら、今夜持って来て下さったのだという。ちょうどレクチャーが終わったところだった。
「ちょっと待って、この飲み会にそんな難しいテーマがあっただなんて聞いてないよ~」と心の中で友人に文句を言いながら、「えらいとこに来てしまった・・」と思ったが、とにかくハイボールを飲んで落ち着くことにした。ローレンツやレイチェル・カーソンと並んで、石牟礼道子の「苦海浄土」があった。水俣を描いたすごい小説である。
そうか、本棚の本を並べ替えると、こんな風に違う世界が立ち現れるのか・・という発見をした。言われてみると、そうかと思うのだけど、私は石牟礼道子をそのような系列で捉えていなかった。私にとっては巫女さんのような、独特の言葉をもった作家だった。水俣のことはこの人の本から学んだ。