水俣への旅 (その3)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2013.03.24 ]森・里・海

水俣への旅 (その3)

東京から大阪に戻って2週間が過ぎた。3月9日は仕事で熊本に行くことになっていた。市内で1泊して、次の日に建築家の高橋晶子さんと佐藤淳さんに、お二人が設計された芦北町交流センターを案内してもらう予定だった。行き方を調べようと、地図で「芦北」を探すと、八代からオレンジ鉄道に乗っていくことがわかった。そのオレンジ鉄道の先に「水俣」があった。

「繋がっている」と思った。芦北に行く日は3月10日、震災の日の前日である。私は水俣に行くことになっていたのだなと思った。芦北を早めに出て、水俣に向かうことにした。

私の事務所の下には、2年前の震災の夏にj.Podで作った小さなオフィスがある。そこを日経新聞の編集委員だった山形健介さんが仕事場に借りて下さっている。山形さんは2006年に石牟礼道子さんをインタビューされていて、その記事を私は切り抜いて持っていた。水俣には何度も行かれているのを知っていたから、ちょっと予備知識を仕入れておこうと思ってオフィスを訪ねた。

山形さんは、「それならぜひ石牟礼さんにお会いしてらっしゃいと」と、その場で電話をかけて下さった。「そんな~、やめて下さい!無理ですよぉ~」と止める私に、「玄関口でおいとまするだけでもいいから会ってらっしゃい」と手書きの地図を持たされてしまった。

東京の友人に、仕事が忙しいのを承知で「一緒に行く?」と誘った。これは彼女が呼び込んだ流れでもあるのだ。その深夜に、「水俣に呼ばれていると思う」という返事がきた。

こんな風に私たちは、人生の先輩に惜しまぬ愛情を注がれて、未知の世界につながる道標を照らしてもらっている。同じことを、若い人たちにできるようにならなくてはと思う。

行くまでに3日あった。私は10年ぶりに『苦海浄土』を読み始めた。