水俣への旅 (その5)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2013.04.07 ]森・里・海

水俣への旅 (その5)

水銀を含んだ大量のヘドロは海底に堆積し、厚さは4mにもなった。水俣湾は、1977年から約14年の歳月と、485億円をかけて埋め立てられた。面積は東京ドーム約13.5個分である。埋立地は1990年に「エコパーク水俣」という名前の公園になった。

埋め立てられなかった場所に広がっていた高濃度(25ppm以上)の水銀ヘドロは吸い上げられて、埋立地の下に埋められたが、それ以下の濃度の水銀は人体への影響はないものとして残されている。護岸の矢板の想定耐用年数は50年である。まだ破損や水銀の漏れ出しは無いようだが、今後老朽化、耐震化が課題になるのは必至だ。この負の遺産を私たちは抱え続ける。原発の使用済み核燃料や除染土の保管問題と同じである。

そのエコパークに車を置いて、水俣病資料館に向かったが、友人が海に下りたいと言ったので、崖の小道を下って行った。両側から枝を伸ばした木々の緑の間に、赤い椿があちこちに見えて、あっと思い出した。石牟礼道子の『椿の海の記』という自伝は、幼少の筆者が父といっしょに、岬の礒に向かって降りていく場面から始まる。そこに描かれていた椿の花が印象に残っていた。そうか、椿はこういう風に咲いていたのだ。

あっけないほど簡単に海に出た。友人が「想像してたより海が広い」とつぶやいた。晴れていれば正面に天草の島々が見えたはずだが、目を凝らしてもぼーっと煙って見えなかった。『苦界浄土』では「こそばゆいまぶたのようなさざ波の上」で、子供たちが真っ裸で舟から舟に飛び移ったり、海の上にどぼんと落ち込んで遊ぶ夢のような情景が描かれている。

来る途中、車の中で見た南九州らしい陽光をここに思い描こうとしてみたが、上手くいかなかった。天候のせいもあるのだが、海は暗く沈んでいた。いつもなら海に出ると、手を水につけたくなるのだが、私はできなかった。

友人はひょいひょいと、軽やかに岩の上を飛んで進んでいく。濡れた岩がすべりそうで怖い私はその後ろを遅れてついて行った。友人が見つけたのは大きなコンクリートの塊だった。鉄のプレートに刻まれた文字を読むと、これは、汚染された魚を外に出さないように湾にめぐらした仕切り網の基点であった。平成9年にはずしたということだから、そんなに遠い昔のことではない。

「この美しい海を2度と悲劇の海にしてはならないという教訓を刻むモニュメントとして、この塊を残します」と書いてあった。「こういう文章って主語が無いんだよね」って友人がいう。そう、あれと同じだ。広島の「安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから」

けれども原発は止らない。安倍総理は「安全が確認できれば再稼動を進める」と宣言した。今日も福島では汚染水が120トン、貯水槽から漏れたと発表があった。貯水槽は海まで800mである。私たちは過ちを繰り返し続けている。

そのとき、コンクリートの後ろから、ふいに2人の青年が現われたのでドキッとした。崖の向こうにいた釣り人だった。不思議な感じがしたが、「そうか、海はきれいになったのだ」とぎこちなく納得した。