水俣への旅 (その9)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2013.04.13 ]森・里・海

水俣への旅 (その9)

「水俣はいかがでしたか。患者さんにはお会いになりました?」と石牟礼道子さんは尋ねられた。穏やかに話されるが笑顔はなかった。私たちは原稿や本が載っている机を前にした石牟礼さんに向き合って座っていた。

「いいえ患者さんには会いませんでした。石牟礼さんにお会いできたら、お聞きしたいことがありました。でも、水俣を歩いて、そんなことは簡単にお答えいただけるものではないと思いました。それは自分で考えないといけないことだと気づきました」喋りながら緊張しているのがわかった。

「たくさんの本を書いてきました。それでも何も書けていません。書くこともできないのに、話すことはもっとできません」目をそらさずにそうおっしゃった。

沈黙。・・・。何も言えずにじっと見つめていると、「昔はどんぶりに鯛のお刺身を山盛りにして、ご飯のように食べました」とおっしゃった。そしてまた沈黙。・・・そして、水俣のあるお母さんは3人のお子さんがみんな発症したけれど、あつかましいので遠慮して末の一人は補償の申請をしなかったというような話をして下さった。魚は要る分しか捕らないという漁をする村でしたからと付け足して。

少し前から喉を痛められたようで、その日の朝の電話でも、声が出にくいので15分くらいなら、ということでお邪魔していた。15分はとうに過ぎていたけれど、じっと私たちを見つめておられた。机の横には椿の花の一輪挿しがあった。やっぱり椿なんだと思った。シンプルなベージュ色のセーターに包まれた小さな体に、幼い日の「みっちん」が一瞬、重なった。

今も、よみがえるのは「沈黙」と右に座っていた友人の「呼吸」である。東京に戻った友人からすぐにメールが届いて、そこに私が感じていた呼吸のことを書いていた。

「一緒に過ごした小一時間、おうかがいしたお話もさることながら、石牟礼さんの表情に合わせて自分の息をひそめたり詰めたり、呼吸を合わせようとひたすらな気持ちになっていた感覚がよみがえります。きちんと人の話を聞く、といえばふつうは自分を虚ろにして出来るだけ受け身になるのに、石牟礼さんの前ではなぜか頼まれもしないのに石牟礼さんがお話しやすいよう、必死でなにか働きかけようとジタバタしていたなあと思います」

石牟礼さんは、話題を変えようとされたのか、他の本も書いていますのよとおっしゃった。ふと思い出して、「猫がお好きでいらっしゃるんですね」と言うと、とたんに顔がほわーっとほどけて笑顔が表れた。無垢な幼女のような笑顔だった。それまでちょっと怖かったので、よけいにその落差にドキッと驚いた。笑って下さったことが嬉しくて、『猫』というエッセイの中の、一番好きなところをお話すると、詳しくそのときの情景を話して下さった。そして猫が好きだと言った私に、「月刊 猫新聞」を下さった。