往復書簡 「ハンナ・アーレント」を観て (その3)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2014.02.23 ]本・映画・演劇・美術・音楽

往復書簡 「ハンナ・アーレント」を観て (その3)

東京の友人に続いて、秋田のKさんからの手紙を抜粋して紹介します。

秋田のKさんからの手紙

『秋田でも「ハンナ アーレント」を上映している映画館があって先日観てきました。 観客はかみさんと私とあと一人の三人。ちと淋しい。

1960年のアイヒマン裁判や、ナチスのことは知っていました。当時の私たちは校庭で「安保ごっこ」をするなど、初めて普及し始めたテレビジョン(ほかにもニュース映画というのもありましたが)のニュースなどからか知ったのでしょう。小学校2年生でした。

浅沼稲次郎の暗殺では、委員長の下町のアパートで帰らぬ主人を待つ秋田犬のしょんぼりした映像などをぼんやり憶えています。1961をさかさまにしても1961だと思った61年はベルリンの封鎖、アデナウアー首相の名前。三井三池の炭鉱争議や釜ヶ崎暴動等々、当時は落盤事故、遠洋などでの漁船の遭難、鉄道大事故など毎日とてもあわただしかったです。

今でこそアーレントの解釈には一定の普遍性が認められていますが、当時はなかなか受け入れられなかったわけですね。アーレントの哲学は、アイヒマン裁判をナチス固有の悪ということではなく、もっと普遍化した人間の悪として捉えたことに意義があります。

そういえば、これも深刻な映画ですが2005年のスピルバーグ監督の「ミュンヘン」はモサドによるパレスチナ黒い九月に対する報復を描いた映画です。観られましたか。中東と欧州での紆余曲折と双方による殺りくの連鎖が続いたのですがこの映画はリアルです。

もちろんイスラエルの悪もナチスの悪があればこそ生まれているのかもしれません。ですから、マンデラ元大統領の和解の哲学と違ってイスラエルの非妥協性はこれから世界をどの方向に導いていくのか。

桝田さんはキリスト教に詳しいでしょうが、私の場合は、ここらのことが理解できず躓くのです。何故、ユダヤでは選良思想が生まれ、シオニズムが続き、ディアスポラの2000年の間に同化せず、20世紀のナチスの受難、この後のイスラエル建国から、そして後は強固な軍事国家として戦争やテロの渦中に。それがアイデンティティというものでしょうか。アンネ・フランクとモサドの幅。ただその幅には多少の戸惑いを感じます。それほどまでの宗教の意味は。

桝田さんの最新の福島の報告、美しい信夫山の雪景色、吾妻山も見えたのでしょうね。あんぽ柿もおいしそうです。また手作りの茶室を福島の公園に移築するという話は素晴らしい話です。桝田さんの福島に対する思いは伝わってきます。そして住んでいる人にも伝わっていると思います。しかし、これはやはりあえて言わなければと思います。本来ならば素晴らしい話だと思いますがそれでいいのでしょうかと。

(以下、福島についての記述は省略)

新たに起きた危機の大きさにたじろぎ、(放射線を)見えないものと無視して、政治家も役人もマスコミも黙々とただ昨日の任務を遂行しているところは、アーレントの指摘しているアイヒマンの悪と通ずるところのものではありませんか。』