往復書簡 「ハンナ・アーレント」を観て (終り)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2014.02.25 ]本・映画・演劇・美術・音楽

往復書簡 「ハンナ・アーレント」を観て (終り)

秋田のKさんへ

秋田は記録的な大雪でさぞ大変だったことでしょう。お便りありがとうございます。

昔の子どもは、それなりに世の中のことを知っていたのですね。家族揃ってご飯を食べ、1台のテレビを一緒に見るので、大人たちの会話も耳に入ったのでしょう。私は1959年生まれですから、61年のアイヒマン裁判は知りません。でも2年生でそんなにたくさんのことを知ってたKさんは早熟ですね。私のテレビニュースの最初の記憶は「吉展ちゃん誘拐殺人事件」です。モノクロの映像を見守る家族の暗い雰囲気をぼんやり覚えています。それから東京オリンピック、ベトナム戦争と続きます。

私はKさんより少し年は下ですが、繁栄の裏側に戦争の影が残る昭和を知っています。黒眼鏡をかけてアコーデオンを弾く傷痍軍人も見ています。私の世代が、戦後の匂いや空気を身体的に記憶するぎりぎりの世代だと思います。ですから安倍晋三や側近の憲法をめぐる言動などには身体の奥が悪意に触れたようにざわめきます。

関西の映画館では、「ハンナ・アーレント」はほぼ満席でしたが年齢層は高かったです。口コミで観客が動員され、ロングランになったのは、今の日本に生まれ始めた新しい悪のレジームに対して、無自覚でいることによって加担することを避けたいという思いを呼び覚まされるからではないでしょうか。

私はプロテスタントのキリスト者ですが、宗教をめぐる殺戮の連鎖については、とても説明できません。聖書の3/4は旧約聖書で、残り1/4が新約聖書です。旧約聖書には、紀元前16世紀から始まるヘブライ人(ユダヤ人)の長い歴史が書かれています。創世記、出エジプト記は歴史書としても興味深く読めます。カナンという「乳と蜜が流れる神の約束の地」の話も出てきます。ご存知ですよね。

私に言えるのは、信仰と宗教は違うということです。信仰は人と神との一対一の関係です。キリスト教の場合、神の言葉は聖書の中に書かれているので、一人で聖書を読み、祈りを通して、主イエス・キリストと対話することが最も大切なことです。でも宗教はその信仰から人間が生み出したもので、教祖、組織、偶像崇拝を必要とします。それらが時に、間違った方向に導くのです。旧約聖書では、イスラエルで行われる人間の愚かな行為に対して、神が何度も嘆き怒る場面が描かれています。神は報復を望まれません。

そして最後に、福島のことですね。私の身体のことも心配して下さってありがとうございます。原発の事故が起こった直後から、2011年の秋に最初に福島を訪れ、通うようになった今日までの間に、事故後の世界をどう生きるかということについて、私は考えを少しずつ修正しました。

私の仕事は建築の構造設計です。日々、地震や台風という自然の力がもたらすリスクを予測し、いかに軽減するかが仕事です。ですから、理系女子として放射線やそれによる被爆のことを勉強しています。薦めて下さった岩波ブックレットの「内部被爆」も繰り返し読みました。福島に行くのは、自分にとってそのリスクが許容できるものであり、リスクと交換に得られる恵みがほんとうに大きいからです。

それと、私が変わったのは現実を見たからです。放射性物質で汚染された土地に、多くの人が暮らしているという現実です。さまざまな理由があって、そこに残ることを決めた人がいます。そこに私の軸足があります。安全な場所にいて、こっちにおいでと言う人も必要ですが、私はそこに残っている人に寄り添いたいと思いました。

福島に残った人の考え方もさまざまです。『ものを怖がらなさ過ぎたり、怖がりすぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはむつかしい』という寺田寅彦の言葉をよく思い出します。「福島レポート2014年」に、この続きを書こうと思います。読んで下さいますか。

今年はいつもより春が待ち遠しいです。元気でいてください。いつか秋田に行きたいです。