[ 2014.07.05 ]憲法・平和
ペシャワール会の中村哲さんの活動報告会に参加したことがある。2012年5月20日、天王寺区民センターに来られたときだ。中村さんは疲れておられるように見えたが、寄付で支えられている会のために、講演会は重要な活動の一つらしく、無理を押してという感じだった。本編の90分の講演よりも、その後の40分の質問タイムが強く印象に残っている。
2008年に、ペシャワール会の会員として農業支援に従事していた青年、伊藤和也さんが現地で凶弾に倒れた。日本国内では、アフガニスタンという国の文化も中村さんたちの活動も知らない人たちが、批判や中傷を浴びせたが、この報告会は、そんな余韻がまだ残る時期であった。
質問タイムはシナリオがないので、咄嗟の対応に講演者の人間性が露わになる。その日の質問も、伊藤和也さんの事件に及び、答えにくいだろうなと思う内容のものも多かったが、中村さんは、どんな質問もそらさず、誠実に「適確な日本語」で丁寧に答えられた。この40分に立ち会えてほんとうによかったと思っている。
中村さんの活動については、様々なメディアで報じられている。著書も多く、ペシャワール会のHP (http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/)もあるので、ここではかいつまんで紹介する。
中村さんは医師で、1984年より、パキスタン北西部およびアフガニスタン東部でハンセン病治療をはじめとする医療活動を続けていた。しかし、アフガンを襲った世紀の大干ばつで、100万人単位の人が餓死するかもしれないという状況で、医療協力だけの活動に限界を感じる。中村さんは、「病気はあとで治せる。まずは生きることだ」と、水を確保するため、1400本の井戸を掘り、全長24km以上の水路を作り続けた。アフガンの復興に尽くすこと30年。戦乱と大干ばつで荒れた不毛の土地は、今や3000ヘクタールの肥沃な緑地として蘇り、何十万という人の命を救っている。
話が遠回りになるが、中村さんの言葉を紹介する前に、予備知識としてもう少し補足したいことがある。会場で買った澤地久枝の『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る-アフガンとの約束』という、中村さんへのインタビューを中心にまとめられた本のことである。『妻たちの二・二六事件』、『密約』の著者らしく、インタビューは綿密な準備をもとに、澤地さんらしい繊細な心遣いで行われ、中村さんが立体的に浮かびあがる。読んで合点がいったのは、中村さんは『花と龍』の著者火野葦平の甥(お母さんが妹になる)であることと、プロテスタントのクリスチャンであることだった。
『花と龍』は火野葦平の父、玉井金五郎と妻マンの実話である。玉井金五郎は、北九州は若松の仲士・玉井組組長で、小説は若松港の沖仲士の争議を描いている。中村さんの父、勉さんは、火野葦平とともに、沖仲士という過酷な労働に従事する湾岸労働者の解放に燃え、三井や三菱の大手筋と闘い、労働組合の結成に尽力する。若松という土地は人情に厚く、血の気の多い男気のある男が多い。「きったはったの世界」は私も少しはわかるので、中村さんのやさしいけれど、力のある眼光に「男なら、やらにゃ」という祖父から父に受け継がれてきた血を感じることができる。
それとクリスチャンであること。すべてのきっかけは、1982年に、「日本キリスト教海外医療協力会」からパキスタン勤務の話がもちこまれたことだ。当時は大牟田の勤務医だった中村さん。下見に行った病院で、ハンセン病の実態に触れ、困難な道を選ぶ。「求められていながら、誰も行く医師のない場所があれば、そこへゆく。なすべきことを誰もなさなければそれをやる」それが、中村さんの30年揺るがない流儀である。誠実な人柄は、深い信仰に支えられている。
中村さんの言葉は、昨日紹介した安倍首相のパネルの説明が、どれだけ真実から遠いかを明らかにする。それは次回。