[ 2016.01.24 ]本・映画・演劇・美術・音楽
デビッド・ボウイが亡くなった。これから、好きなロックアーチストが一人ずついなくなることを改めて覚悟させられる訃報だった。彼が病気だったとは知らなかった。
いつも肝心なことは後で知らされる。あの人も、・・あの人も、死の傍にいたことを知らず、孤独な闘いの末に静かに逝ったことを知らされて、迂闊だったと悔やむ。その繰り返しだ。
デビッド・ボウイは好きだった。朝日新聞の追悼記事で、ある音楽家が「滑らかで艶のある低音と虹色にけいれんするファルセット。天上からのシャウト」と表現したように、歌声は特別だった。
デビッド・ボウイは1992年のフレディー・マーキュリーの追悼コンサートのステージが忘れられない。1曲目の「Under Pressure」は圧巻だったが、印象を残したのは最後である。3曲目の「Heroes」を歌い終えてステージを降りる前に、「最もシンプルな形で追悼の意を表したい」と言って、ひざまずき、両手を組んで「主の祈り」を唱えたのだ。クリスチャンがいつも唱える「天にまします我らの父よ」で始まる定式の祈りである。7万人の観客が静まり返った。もともとインテリジェンスを感じさせる人だったが、このときの静かな所作に、信じられる人柄を感じた。
先日、深夜にDVDで久しぶりにそのステージを観た。リハーサル風景も収録されていて、煙草を片手にリラックスして歌うデビッド・ボウイはたまらなくかっこよかった。そのコンサートを最初に観たのは1992年だった。高校の同級生の小林君が、見せたいと言って、録画したビデオを事務所に届けてくれた。その彼も数年前に静かに逝ってしまった。
そして今日、また好きな人を見送った。教会の姉妹である友子さん。まだ63歳だった。昨年の10月の終わりに検査でガンが見つかり、3ヶ月の闘病の末、昨日、天国に召された。今日が告別式だった。本人でさえ死が静かに忍び寄っていることに気づかないぐらいだったから、ガンと聞いても誰も最初は信じられなかった。
でも友子さんはあっという間に小さくなってしまった。一昨日、教会の人たちと、淀川キリスト教病院のホスピスを訪ねた。みんなこれが最後のお別れになることを知っていた。私たちクリスチャンは「天国カード」を教会に預けている。好きな賛美歌や花の名前、聖書の言葉などをカードに書いて、死に備えているのだ。だから病室では、静かな声で友子さんの好きな賛美歌を3曲歌った。
少し起こしたベッドで、友子さんはやさしい顔で目を閉じていた。娘さんによると、友子さんは3ヶ月の間に心を整理し、死を受け入れて、夫や子供たちに伝えたいことを伝え、全てを主イエス・キリストに委ねたという。
私たちは一人ずつ、手を握って短く話し「さようなら」と言った。友子さんは眠っているように見えたが、ときどき、小さな声で「ありがとう」とか「嬉しい」とか言っていた。信仰が友子さんを支えていた。こんな風に私も穏やかな死を迎えられるだろうか。
死ぬべき存在であることを再認識し、一日、また一日を丁寧に生きたいと願う週末になった。