[ 2016.08.26 ]構造デザイン
すでに懐かしい思い出になってしまったが、今年の4月16日に開催してもらったお祝い会のことを書き残しておきたい。これは昨年の日本構造デザイン賞の受賞をお祝いしようと企画し、集まって下さった皆さんとのひと春の物語である。
始まりは2015年10月1日に遡る。その日は法政大学で川口衛先生の日本建築学会大賞受賞記念祝賀会が行われていた(下の写真)。宴もたけなわでステージでは華やかな民謡が披露されていた。私の横に立って舞台を眺めておられた金箱温春さんが、「桝田さんもしようよ、構造デザイン賞の」とささやかれた。「そんな、とんでもない。それはありませんよ」と首を振ると、「満田さん、やってよ。頼んだからね」と、隣の満田衛資さんにおっしゃった。
その日は台風の接近で強い雨が降っていた。新幹線が止まるのが心配で、満田さんと早めに会場を出ると、早速、私の祝賀会のことをあれこれ考えてくださる。でも思わず「嫌なんです、そういうの」と言ってしまった。
人の受賞パーティに出るのはとても楽しい。満田さんがJSCA賞の新人賞と日本構造デザイン賞を受賞されたときは、その祝賀会で乾杯の挨拶をさせてもらった。でも自分の番になると話は別だ。桃李舎の25周年パーティのようにこちらがおもてなしするのは楽しいし、何度でもやりたいが、お膳立てされて金屏風の前に座るのはやっぱり性に合わない。
でも満田さんはいつになく引き下がらない。「桝田さん、これはご自分のためにするんじゃないんですよ。後輩のためにやるって考えてください。そうでなくても関西は、この手のニュースが少ないでしょう。誰かが受賞したらみんなでお祝いをして、参加した若い人たちに、自分もこんな風にいつかお祝いしてもらえるようにがんばろうって思ってほしいんですよ。」
またこうも言われた。「僕は事務所の先輩だった小西泰孝さんの祝賀会に出て、いいなぁって憧れました。若い人にはそういうモデルを見せることが大事だと思うんです。関西で構造エンジニアが集まって盛り上がる機会を作ってください。桝田さんが嫌だといわれる気持ちもわかりますけど、こんな感じだったらやれるっていう形を考えてみてください。僕がちゃんとやりますから」「ありがとう。・・でもやっぱり気がすすまない・・」そんな会話を繰り返した。
市ヶ谷の駅に向かう夜道、私の右側を歩いていた満田さんの声のトーンを今も覚えている。新幹線に乗って、ワゴンサービスの缶ビールを何度も二人でお代わりした。東京オリンピックのザハ案のことなど喋っていたら京都まであっという間だった。