春分の日の朝に|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所|大阪の建築構造設計事務所

トーチカ通信

[ 2024.03.20 ]本・映画・演劇・美術・音楽

春分の日の朝に

今朝、朝食を作りかけたら、ルー・リードの歌が聞こえてきた。休日モードの私のために、夫が選んでくれたのだろう。私が好きなアルバムだ。

1曲目の『EGG  CREAM』。少年の頃、みんなが好きだったチョコシロップをかけたエッグ・クリーム、街角のレストラン、ジュニアズ。彼が生まれ育ったNYブルックリンへの憧憬が、春めいた日差しが注ぐ部屋に漂う。

ルー・リードはこの世界からいなくなったが、彼が作った音楽を聴くと、いつでもこうして会うことができる。

ベランダで育った青梗菜の花

 

一つ前のブログは高橋幸宏への追悼文だった。彼が亡くなったのが1月。その2週間後に坂本龍一が逝き、その2ヶ月後の3月に、鮎川誠が逝ってしまった。2023年は彼らを見送った年として、記憶に残るだろう。

高橋幸宏の独特のグルーブ感は、ここではないどこか気持ちのいいところへ、意識を遠くへ運んでくれる。昨年の初めは、彼のCDを繰り返し聴いていた。

昨年のある夏の日、梅田シネ・リーブルで鮎川誠のドキュメンタリー映画を観た。先に逝ったシーナさんとそこで会えるからと、亡くなる直前までステージに立ち続け、優しい娘たちに看取られて旅立った。最後を過ごした自宅の居間は、こまごまとした物が無造作に置かれた、小さな普通の部屋だった。スタジアムを嫌い、小さなライブハウスにこだわり続けた彼の心意気と、日常生活とロックが地続きで溶け合っていたことを、少しくたびれているけれど座り心地のよさそうなソファーを見て、感じた。ぬくい涙を流しながら、「私もがんばるたい!」と誓った。

坂本龍一のことはまだ書けない。でも、昨年、一番聴いたアルバムは、間違いなく坂本龍一の『1996』だ。ピアノとバイオリンとチェロの静かなトリオ。夫はこのアルバムを毎日、毎日、飽きることなくかけ続けた。朝、コーヒーを飲みながら、夜はハイボールを飲みながら、私たちは彼の音楽を聴いて彼のことを想った。私はいつも同じところで、涙が込み上げた。一年以上経った今もそうだ。夫は彼と同い年。1969年という年を、同じ東京で、正義感だけをとがらせた、多感な17才の高校生として生きている。同じB型の性格や人生の閉じ方にも、共感するところがあるのだろう。

私は大学の一回生のときに出会った。YMOが鮮やかにデビューした年だ。製図室では毎日YMOが流れていた。坂本龍一を通して、ドビッシーを知り、ゴダールや浅田彰、柄谷行人、蓮見重彦を知った。音楽だけではなく、彼がその時々に興味があるものを追うことで、世界が少し広がった。

彼の最後のピアノ演奏はNHKのスタジオで収録された。亡くなる少し前に見て、彼がもう長くはないことを覚悟した。透明感のある静かで精神性の深いピアノだった。YMO時代の『東風(トンプー)』を弾いているとき、彼がかすかに微笑む。何度見ても、そこでいつも涙がこみ上げる。テクノポップの曲を穏やかなアレンジで、ハミングするような軽やかさで弾いていた。

彼はもっと生きたかったはずだけど、生き切ったと思う。音楽に身を捧げ、音楽の神様に愛されて、これだけの音楽を残した。その音楽があるから、私たちはいつでも彼と会える。

母と父を亡くしてから、死者は違う形で共に生きていると思えるようになった。実感を伴って、そう思える。

好きだった人たちを、続けて見送ったが、彼らは今もともにいる。大好きだった猫や犬たちも足元にいる。