追悼 高橋幸宏|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所|大阪の建築構造設計事務所

トーチカ通信

[ 2023.01.16 ]本・映画・演劇・美術・音楽

追悼 高橋幸宏

高橋幸宏(ウキペディアより引用)

日曜日の朝の食卓でコーヒーを飲んでいたら、ネットニュースを見た夫が2階から降りてきて、「高橋幸宏さんが亡くなった」と言った。私は悲鳴のような声をあげた。彼が闘病中だとは知らなかった。坂本龍一のステージ4の癌に気をとられていて、完全にノーマークだった。

高橋幸宏は誰もが知るYMOのドラマーだ。グルーブ感を排除した正確なビートを刻むドラムも、リズムの間隔をコンピュータで数値化して、グルーブ感を分析し尽くしたドラムも、どちらもYMOのドラムの音だった。

私は彼の歌う声がドラムよりも好きだった。鈴木慶一と組んだユニット、ビートニクスの『ちょっとツラインダ』を昨日は一日、繰り返して聴いていた。

♪月明りあびて 車とばしたい

 風の音聴いて 歩いてみたい

 ・・・

 昨日胸にぽっかり 穴があいて ちょっとツラインダ♪

80年代の曲だが、今でもふと聴きたくなるときがあって、CDをかける。1回聴くと、決まって3、4回は繰り返して聴いてしまう。風に髪をなびかせて、夜の海辺をドライブしているような爽やかなグルーブ感が心地いいから。ここではないどこかへ移動していく感覚は、あの歌に似ている。

学生運動の嵐が吹き荒れた60年代が去ったあとの、一転したやさしさの時代。その象徴のような、ケンとンとメリーのスカイラインのCMソング『愛と風のように』だ。あの歌が、高橋幸宏のお兄さんの高橋信之の作曲だと後で知った。

サディスティック・ミカ・バンドに始まり、華やかな音楽業界に身を置きながら、彼は変わらずナイーブで上品だった。一度だけ、彼のソロコンサートに行ったことがある。大きな声やシャウトとは無縁で、細見のシルエットでドラムを叩きながら静かに歌っていた。気持ちのいいコンサートだった。

YMOの話に戻る。YMOはまず海外で注目され、逆輸入の形で日本に入ってきた。初めて聴くコンピュータ音楽の衝撃。でも何よりも、私たちはまず、あのテクノカットで中国の人民服に身に包んだ彼らのビジュアルにやられたのではなかっただろうか。あのビジュアルデザインは高橋幸宏だった。そして彼の控え目なボーカルもYMOそのものだった。

YMOの名盤『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が出たのは、大学の1回生のときだった。あの頃、製図室にはいつもYMOが流れていた。一緒にこの時代を生きている感覚があった。高橋幸宏が逝ってしまって、とてもさみしい。

ピーター・バラカンがDJをつとめるNHKFM土曜朝のラジオ番組『ウィークエンド・サンシャイン』では、近日中に追悼特集を組むはずだ。既にリクエストが届き始めているという。高橋幸宏を好きだった人たちと一緒に、彼の音楽を聴いて追悼したい。