父の死|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所|大阪の建築構造設計事務所

トーチカ通信

[ 2022.02.18 ]家族と日常

父の死

 

クリスマスのアレンジ(制作:浅野千鶴さん)

父が亡くなって、明日でちょうどふた月になる。93歳だった。年末の19日に亡くなって、キリスト教式で前夜式と告別式を行ったらすぐにクリスマスになり、そのまま長い冬休みに入った。私は実家で父と二人で暮らしていた。子どもの頃は祖父母と両親、独身の叔母、二人の妹と私の8人家族だったが、7年前に母が亡くなって父と二人になり、とうとう一人になってしまった。2年前に結婚したが、夫はまだこの4月までは東北の福島にいる。

居間とひと続きの奥の間の正面に父の遺影を置き、頂戴した沢山のお花やカードや手紙を並べた。電球色のスポットライトを当てると、落ち着いたメモリアルコーナーになった。広い家だから、しーんと冷えている。小さな音量でジャズのCDをかけると、部屋が少し温もるように感じるので、いつも家に帰るとまずステレオのスイッチを入れる。

父の遺影を見ながら居間のソファーで食事をし、コーヒーを飲んで、夜中にお花のアレンジのかごを一つずつキッチンに運んで、お水をあげる。キッチンには父の食器や好物が、つい昨日までの暮らしのままそこにある。ふと蘇る父の言葉や表情が、また心のスイッチを押すから、涙がはらはらはらはら流れる。長い冬休みを私はそんな風に静かに過ごした。

新しい年が始まり、松の内も明け、年賀状の代わりに寒中見舞いを出し終えたところで、コロナに感染してしまい、12日間、自宅で隔離療養生活をすることになった。すると毎日、玄関でピンポンが鳴った。寒中見舞いで父の死を知らせたので、親しい人たちが、お花やお供えやカードを届けて下さったのである。父のコーナーはまた、白とグリーンの清楚なお花でいっぱいになった。微熱と咳が続く中、冬休みと同じような時間をもう一度、繰り返した。ただ今回は夫がいた。週末に会いに来てくれたとたんに濃厚接触者となり、福島に帰れなくなったのだ。夫はあっという間に39度まで熱が上がった。

小さな音量でジャズを流し、父の遺影に向き合って、二人で別々に毛布にくるまって食事をした。寒いけど窓を開けて風を入れ、お花のかごを、また一つずつキッチンに運んでお水をあげた。葬儀のお花と違って、今度のアレンジは少しだけ明るい。白い花の中に、淡いローズ色で、バラに似ているけれど、もう少し柔らかい表情の花が混じっていた。なんとも愛らしいその花の名は「ラナンキュラス」というのだと花の好きな友人が教えてくれた。お水を上げときに触れる花々の感触と香りに癒された。

ふと、もしここに父がいたらと想像した。私はコロナで何もできない。父は私に迷惑かけまいと「もうええぞ」と、人生の幕を下ろして逝ってくれたのではあるまいか。夫は4月からここで暮らす。「あとは頼む」ということなのか。きっとそうだと思えたら、また涙があふれた。毎日、お花を眺め、夫が入れてくれる熱いお茶を飲みながら、頂いた甘いお菓子をよばれうちに、私の心と身体はゆっくりと回復していった。

家にはまだ特別な時間が流れている。寒い時期なので花はまだ咲いている。けれども2月も半ばとなり、日常が戻ってきた。ただこれまでと違うのは、父の用事がなくなったことだ。自由に使える時間が増えたことが、また悲しいのだが、有意義に使いたいと思う。それでこのブログを再開した。

長い間ご無沙汰をして申し訳ありませんでした。また読んでください。