[ 2020.05.14 ]結婚式ができるまで
昨年のある春の夜、ライブの興奮が冷めぬまま、友人と淀屋橋を歩いていた。「クラフトヴェルク」(発電所)という1970年にドイツ、デュッセルドルフで結成された、電子音楽の先駆的バンドのライブだった。英語読みで「クラフトワーク」というそのライブに誘ってくれた友人は、佐川恵美さん。山本博工務店の現場監督である。チケットのお礼にご馳走したビールを飲みながら、結婚するという話をすると、えーっ!と驚かれた。
後日、ウズラボの竹内さんからこんな話を聞いた。「佐川さんが、ブライドメイドやるって言ってましたよ。天使の羽を背中につけよかなとかなんとか・・」今度は私がえーっ!という番だった。ブライドメイドって、花嫁より若い人がするんじゃなかった?「そもそも、いる?」と青木に話すと、「やろうと言ってくれる人にやってもらおうよ」と言う。そういう経緯でお願いしたので、ブライドメイドの佐川さんには、あの夜のクラフトワークの衝撃の赤のイメージが重なる。
山本博工務店はこの連載の(その8)で紹介した、十字架を組み立ててもらった工務店である。2007年の豊崎長屋という戦前長屋の耐震改修が出会いで、それから十数棟の長屋の耐震改修をウズラボと一緒にやってきた。その全ての現場の監督が、佐川さんだった。
改修は仕上げをめくって初めてわかることがほとんどなので、大工さんも一緒に、現場で一つひとつ、補強の方法を決めていく。佐川さんは、忘れないように補強箇所にガムテープを貼って、マジックで書き込んでいく。十年以上一緒にやってきたので、最近は詳しい説明をしなくても、わかってくれる。
佐川さんは大学時代を京都で過ごし、日本画を専攻していた。卒業後は服地のテキスタイルデザインをしていたこともある。ミス・キャンパスに選ばれて、京都新聞にも載ったという話を先日聞いた。そんなチャーミングな人なのに、結婚のパーティで何かやってと頼むと「痩せた腹踊りでも見せましょか」と笑う。そんなさっぱりした性格なので、佐川さんがいると現場が明るい。設計者と大工さんと施主を上手く繋ぐことができるのは、その人柄によるのだと思う。
このブログの「トーチカができるまで」でも紹介したが、2011年にうちのガレージを改修して作った「トーチカ」の工事も佐川さんが監督だった。毎日、顔を出してくれたので、母が入れてくれるお茶を飲みながら、ほんとによく喋った。大工さんがあきれるくらい、映画や芝居や音楽のこと。母もオシャレで明るい佐川さんが好きだった。
2009年の梅雨が始まる頃、つき会い始めたばかりの青木を豊崎長屋の現場に案内したとき、佐川さんと一瞬、3人並んで軒先で雨宿りをしたことがあった。佐川さんは、それを覚えていてくれた。直感があったらしい。10年後の再会が3人で並ぶ結婚式となった。