結婚式ができるまで(その10)珈琲|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2020.05.05 ]結婚式ができるまで

結婚式ができるまで(その10)珈琲

結婚式に続く茶話会で出すコーヒーは、青木が挽きたてにこだわった。喫茶店をしている幼馴染の友人に相談すると、ポットサービスを引き受けてくれた。友人は寺下裕子さん。私は旧姓で「相木(あいき)さん」と呼んでいる。

その喫茶店は「珈琳亭」という。昭和の雰囲気が残る珈琲の専門店で、近鉄上本町から北東へ歩いて5分。公園の前の静かな場所に立っている。相木さんは、学生時代にアルバイトをしていて、マスターだった今のご主人と恋に落ちて結婚した。お義母さんのお店なので、お義母さんと一緒に40年、働いてきた。美人なのに気さくで、気働きができるから、常連のお客さんは、彼女と話がしたくて珈琲を飲みにやってくる。

珈琳亭

相木さんは同い年で、小学校の2年生になる春に、我が家の隣に引っ越してきた。家は質屋さんだったので、遊びにいくと家の中に蔵があるのが珍しく、新しい家の匂いがした。私は妹が二人いて、彼女にはお兄ちゃんと妹がいた。近所には同じ年頃の子供がたくさんいたので、学校から帰ったら、毎日みんな一緒に家の前の道で暗くなるまで遊んだ。4年生になると、この連載の(その9)で紹介した藤岡さんも加わった。

あの頃の遊びは全部、覚えている。盗人と探偵に分かれて追いかける「探偵ごっこ」。組分けの歌は今も歌える。「一段」と呼んだゴム飛び。「ホームランケンパ」は石蹴り。缶蹴り、ドッジボール、大きな縄跳び、町内をぐるぐる走るリレー。勝負がかかったときの負けん気は、きっとここで培われたと思う。夏の夕方、雨上がりのアスファルトの匂いに、今もこのときの記憶が蘇る。

スピーチをする寺下(旧姓相木)裕子さん  撮影:NOG

中学生になると、一緒に通学した。いつも遅刻ぎりぎりだったので、重いかばんを持って、全速力で走った。相木さんは結婚式のスピーチでこのエピソードを披露した。「だから私たち、足が速くなりました」と。それはほんとで、高校3年の運動会でこけるまで、徒競走ではいつも一番だったのは自慢だ。相木さんとはバスケット部も一緒だった。

当時、私の勉強部屋は2階にあって、部屋の前は1階の屋根と物干しだったので、窓を開けると、屋根越しに話すことができた。糸電話も使ったが、彼女が窓からうちの屋根に下りてきて、夜も屋根の上で話した。当時は「スクリーン」や「ロードショー」という映画雑誌があって、二人は映画に夢中だった。アラン・ドロン、カトリーヌ・ドヌーブが巻頭ページを飾っていた時代だ。フランス映画を通してパリを知り、憧れた。フランシス・レイの音楽にまだ膨らまない小さな胸をときめかせた。相木さんのご主人も大の映画好きで、DVDで頂くお薦め映画は、外れたことがない。

左から、相木さん、青木と私、相木さんのお兄ちゃん、ご主人の寺下さん

結婚式に用意してくれた珈琲は、香り高く、おいしかった。いくら言っても代金を受け取ってくれなかった。7才で出会って、53年。今も父に手作りのお菓子を届けてくれる優しい友人である。

「珈琳亭」は懐かしい味がするナポリタンスパゲッティもおいしい。近くに行かれたら、ぜひ立ち寄ってください。

(緊急事態宣言発令中のこどもの日に)