[ 2012.02.09 ]トーチカができるまでのこと
我が家のガレージには縦列駐車で車が2台入いっていた(写真中央)。2009年、私は自分の車を処分した。続いて2010年、両親がもう一台の車を手放した。ガレージが物置になり、シャッターの上げ下ろしがしんどくなってきた両親がドアをつけようと言い出した。
改修する時が来た。美しいファサードを考えたい。しかし、ガレージの空間をどう使うかを決めないと、それを考えることができない。
我が家は祖父母、両親、3人姉妹の7人家族だった。今は両親と私の3人。部屋は余っている。1階に桃李舎を移転するという案もある。しかし今でなくてもいい。青木さんの本を読んだからには、もう少し知恵をしぼりたい。今回のような住宅の個別更新で、この街に対していかに魅力的な貢献ができるかだ。
『日本型まちづくりへの転換』の中に、こんな記述があった。
「今までは考えもしなかったものに変えてみる方法もある。発想の転換。ゼロから作り出すのではなく、既にあるものの一部を変えるだけ、物理的な形は変えずに、その使い方を変えるだけでも良い結果が得られる」「人は、変わることができる」
リーマンショックで私は大きな預金を失った。銀行まかせの不慣れな運用であっけなくお金が消えたとき、多くのことを考えた。これは2009年の年賀状である。
ガレージを人との関わりのために使おうと思った。いろんな人が集まれる場所にすること。子供も年寄りも、仲間もそうでない人も。家という容器はコンパクト化できないが、内部に外部に開いた空間を取り込むことで、結果的に住空間はコンパクト化し、減らしたスペースを地域に提供することができるのだ。
「一人から始められるまちづくり」をやろうと決めた。2010年秋の終わりである。