トーチカができるまでのこと (その3)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2012.02.10 ]トーチカができるまでのこと

トーチカができるまでのこと (その3)

時間が少し遡るが、昭和の終わり頃、私はこの芝川ビルの3階にある川崎建築構造研究所で働いていた。大学を卒業して修行していた頃の思い出は、すべてこのビルと共にある。

重い玄関の扉、木の郵便受け、薄暗い廊下の両側に並ぶ緑のペンキで塗られたドア。仕事に疲れると、こっそり事務所を抜け出して、ビルの中を散歩した。地下の不思議な雰囲気のする事務所を覗き、ちっとも売れていない古着屋さんで試着をし、無人の古本屋さんで立ち読みをし、屋上で昼寝をした。私はこのビルを満喫していた。

時間が止まったようなビルが、2009年に突然、モダンな変貌を遂げた。昭和2年の建設当時の図面をもとに、修復・復元工事がされたのである。それを聞いて、慌てて見にいった。崩れていた外壁の装飾が復元され、垢抜けて美しい顔になっている。そっと中に入ると、売れない古着屋さんはチョコレートショップになり、地下の不思議な部屋は洗練されたベトナム料理のレストランになっている。もっさりとした腕カバーをつけて廊下を行き来していたおばさんに代わって、個性的な女の子がアンティークショップを覗いている。『羊をめぐる冒険』の、いるかホテルのようだと思ったけれど、こちらはもっと素敵なリニューアルだった。

3階の川崎建築構造研究所は阪神大震災の年に川崎さんが亡くなって今はもう無い。この廊下は特別な場所だ。歩くと今も昔と同じ匂いがし、胸がきゅんとなる。

この修復・復元の仕事を高岡伸一さんがしたと聞いて驚いた。上の写真は高岡さんの撮影である。「地下発電所」を始めたのは高岡さんから鉄道広告社のビルを借りませんかと誘われたのがきっかけだったことは、先に書いたとおりである。繋がっていると思った。家のガレージのファサードのデザインは高岡さんに相談しようと決めた。

2010年の暮れである。