[ 2012.03.28 ]トーチカができるまでのこと
トーチカにサッシが入って工事はひと段落し、後は自分たちでできる細かい作業を残すだけとなった。梅雨入りが始まる頃で、あの頃はいつもこんな風にドアを開け放して作業をしていた。
そうするうちに、近所の年配の人たちが一人、二人と「きれいにしはったねぇ」と入って来られるようになった。
表の国道から一筋中に入っているだけだが、この一帯は静かだ。世代が替わって建物は新しくなったが、ほとんどは戦前から続く家で、昔からのコミュニティが今も残っている。泥棒がこれを読んでいたら困るけど、いまだに日中は家に鍵をかける習慣がない。回覧板をまわしに隣の家を訪ねて鍵がかかっていると、お留守かなと思う。友人が「ここは昭和?」とあきれるぐらいだ。それでもやはり変わって来た。家の造りが変わったせいもあるが、用もないのに人の家を訪ねる人はいなくなった。家の前に床机(しょうぎ)や椅子を置いて新聞を読む人も、涼む人もいなくなった。
ところがこの工事の間は、近所のお年寄りの方々が、父か母の姿が見えると、「ちょっとごめん」と入って来られた。昔のように。理由は三つあると気づいた。外から中が見えること。土足のままで入れること。そして大きなテーブルがあることだ。大きなテーブルで、母がお茶を出すという場面が増えた。
そうするうちに、いろんなものを頂戴するようになった。藍のテーブルセンター、傘立ての壷、人形、こけし、置時計。ドアが開いていると、知らない間に本棚にものが増えているのだ。食器は当初は気に入ったもので統一するつもりだったが、震災のあと気が変わって、物置に山とある引き出物やお祝い返しの中から、できるだけシンプルなコーヒーカップとお湯飲みを選んで置くようにしていた。すると、「地味なカップしかないみたいだから、これ使って」と、ロイヤル・アルバートの優雅な花柄のカップが並ぶようになった。絶対に自分では買わないものだ。
もう誰の家かわからなくなってきた。私のトーチカが・・・という感じだったが、これでいいかと思えてきた。みなさんがこのスペースを気に入ってくださって、ここにこういうのがあればいいなという気持ちで持ち寄って下さるのである。これはものすごく幸せなことではないだろうか。
そして、大きな設計変更をした。上履きの予定を土足にしたことだ。正面の棚は下駄箱として使う予定だったが食器棚に変えた。それは正解だった。
自分でここをこんな風に運営しようとビジョンを描く間もなく、空間が育ち始めた。