[ 2013.09.08 ]本・映画・演劇・美術・音楽
震災があった2011年の年末にブログを開設して、1年9ヶ月。ブログを書くようになって、脳のOSのようなものが変わった気がしていた。これはどういうことかな・・と、日頃思っていたので、友人に教えられて、ISIS編集学校の開講のお知らせのHPを開き、「情報の編集」という言葉を見たとたん、これだ!と思った。後先を考えず、10分で申し込んでいた。
私たちは毎日、夥しい情報にさらされて生活している。さまざまなメディアからの活字や映像、実体験による五感を伴う情報がインプットされる。それに対して、ブログを書くのはアウトプットの作業である。手紙もそうだが、ブログはパブリック性があるので別物だ。これまで無かったアウトプットのツールを使って、文章を書こうとすると、そこに「編集感覚」が働くことに気づいた。
それは『トーチカができるまでのこと』を書いているときに最初に感じた。ここで起きていることを、誰かに伝えたいと思ったとき、時系列で書くだけでは、「伝えたい想い」が表現しきれなかった。それは一つの物語だったから。どうやって丸ごと伝えようかと考えると、人生を遡って古い記憶を取り出し、ある一枚の写真と組み合わせ、音楽のタイトルや、ロゴを散りばめ、話す順序を入れ替えて、という作業を無意識のうちにしていた。今思えば、これは「編集」だった。
ブログを書く以前は、いろんな情報が頭の中の大きな引き出しに、ごちゃごちゃに入ってきていた。ブログを書き始めて、1年ほど経つと、アウトプットを少し意識するだけで、小引き出しに、情報が振り分けられるようにインプットされるようになった。それらを、自由に引き出し、再分類し、ネットワーク化することで、ある情報の隠れた意味に気づき、別の意味に転換される小さな驚きを感じるようになった。
少し大げさな表現になるが、アウトプットのツールを持ったことで、小さな体験を丁寧に追体験するというか、「丁寧に生きてる」と感じるようになってきた。私はブログで、自己流の編集作業を繰り返し、人生を以前より能動的に生き始めたのだと思う。
先日、亡くなった神山君のことをここに書いた。葬儀からしばらくして、妹さんが、インターネットでこのブログを偶然に見つけて、そこに彼が生きていたしるしが残っていることに、感謝の気持ちを伝えてくださった。ブログの双方向性は、フェイスブックにないぬくもりがある。さーっと言葉が流れていくフェイスブックに対して、ブログは言葉が積もっていく感覚がある。それがカテゴリーに分類されて、収まっている。
ISIS編集学校の編集稽古のおかげで、ブログを書いているときに、脳の中で起こっていたことを、理解することができた。「編集」はおもしろい。睡眠時間はなくなるけど、通信講座、おすすめです。