集団的自衛権行使容認の閣議決定(終り)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2014.07.08 ]憲法・平和

集団的自衛権行使容認の閣議決定(終り)

報告会で、殺害された伊藤和也さんの事件に質問が及んだとき、うろ覚えだが中村哲さんは、「最近の日本は人に対して不寛容になっていて、公の発言はちょっとした誤りも許されないようです。だから話したくありません」というようなことをおっしゃったと思う。

澤地さんのインタビューでも、伊藤さんのことは、「「悲しかろうな」という以外にないです」としか言われていない。しかし、ベシャワール会のHPには、中村さんの痛恨の「弔辞」が掲載されている。ぜひ、全文を読んでほしい。http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/kaiho/ito/ito2-3.html

ただこう言われたことははっきり覚えている。「殉職者は6人目なんです。5人のアフガニスタン人が殉職したとき、日本側は何も言わなかった。」

澤地さんのインタビューによると、ソ連との戦闘の流れ弾で1人が亡くなり、1人は砂漠で力尽き、1人は川に転落し、2人が井戸に転落して亡くなっている。

「今まで黙っていて、なぜ今、「すぐに現地を引きあげろ」ということになるのか。私はそういった日本人中心の考え方は嫌です。」

そして「日本」はどうしたか。2008年11月5日、政府は傷心の中村さんを、再び、参議院外交防衛委員会に参考人として呼び戻す。中村さんは、アフガンの情況を繰り返し説明し、対テロ戦争を名分とする外国軍の空爆に対する意見をはっきり述べている。

「干ばつとともに、いわゆる対テロ戦争という名前で行われる外国軍の空爆。これが治安悪化に非常な拍車をかけておるということは、私はぜひ伝える義務があると思います。」「外国の軍事面の援助は一切不要でございます。」

そして、続く中村さんの発言を澤地さんが、次のようにまとめている。

「伊藤さんの死亡後、現地の治安当局と地元住民が話し合い、地域自治委員会をつくり、そこが我々を防御するという形をとっている。これが伝統的なアフガニスタンの治安体系であり、旧タリバン政権もそれにのっとってアフガニスタン全土を治めた。治安問題というのは基本的に警察の問題であって、軍隊の問題ではない。地域長老会、地域共同体と密接な治安委員会設立により、都市部は別として農村部はもっとも良好な形態を得た。陸上自衛隊の派遣は有害無益、百害あって一利なしというのが私たちの意見である。」

澤地さんによると、委員会には、(叩かれることを警戒し)前回のような笑いは出ないまでも、議員の発言には、中村さんの発言に対する否認、皮肉、揶揄の響きがあったという。現場の証人に対する謙虚さのかけらもない。

紛争地域で貢献する人々に対する安倍政権の現状認識の程度が、以上を読んでもらえばわかると思う。記者会見のパネルの説明は嘘である。最後に、澤地さんの本の「あとがきに添えて」にある中村さんの言葉を抜粋する。

『「破局」というえば響きは悪いが、それで人間の幸せが奪われるわけではない。人間もまた自然の一部である。ヒンズークシュの壮大な山並みと悠然たる時の流れは、より大きな目で人の世界の営みを眺めさせてくれる。時と場所を超え、変わらないものは変わらない。おそらく縄文の昔から現代に至るまで、そうであろう。私たちもまた時代の迷信から自由ではない。分を超えた「権威ある声」や、自分を見失わせる享楽の手段に事欠かない。世界を覆う不安の運動-戦争であれ何かの流行であれ-に惑わされてはならない。』

この文章を読んで、柔らかな稜線の福島の山並みと阿武隈川を思った。また福島レポートに戻りたい。