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トーチカ通信

[ 2012.03.10 ]本・映画・演劇・美術・音楽

網谷義郎 展覧会

10日ほど前の朝日の夕刊で、展覧会の美術評の小さな宗教画に目が止まった。白い縦長のテーブルのまわりにイエスと12人の弟子が座る「最後の晩餐」である。

1960年の作で、網谷義郎とある。その名前は知らなかった。神戸生まれ、20歳で学徒出陣。復員後に入った京都大学在学中に小磯良平と出会い啓示を受ける。卒業後カトリックの洗礼を受け、エマウスという慈善活動に力をいれていた書かれている。展覧会は神戸で18日まで。明日で東北の大震災から1年である。神戸を見たいという気持ちもあり行ってきた。

人だけを描いていた。ジャコメッティの彫刻のように、肉体を削ぎ落とされた細長い人が、キャンパスの中で、両手を水平に広げて立っている。ひょろりと手足の長い人物の顔はない。一見、頼りなさげに見えるけれど、膝から下の線が力強く、しっかりすっくと立っている。棒のような体は十字架にも見える。キリスト教信仰に支えられた画家がキャンパスに向き合ってきた静かな時間を、絵の前で味わっていた。

昨年の教会のクリスマスのゲームで、私は猫のマトリョーシュカをもらったが、残った景品の中に、8枚セットのポストカードがあった。水彩の宗教画で、どれもよかった。とくに縦長の構図の「最後の晩餐」がよかった。誰の絵だろうと裏を見ると小磯良平だった。クリスチャンとは知らなかった。誰も欲しいといわなかったのでもらってきた。その2ヵ月後に、新聞で網谷義郎の同じテーマの絵に目が止まった。この絵は見にいくことになっていたのだろう。

美術館は灘区にあった。17年前の震災のとき、このあたりは壊れた酒蔵からお酒の匂いが漂っていた。国道沿いのビルはほとんどが崩れ、オフィスビルのブラインドが吹流しのように窓からたなびいていた。一つ内側の細い道を歩くと、爆撃を受けたあとのような焼けた家々の間から、ものが焦げる匂いに混じって、誰かが立てた線香のかすかな匂いが風にのって流れてきた。それでも街は立ち直った。時間はかかるが東北の街も必ず立ち直る。

明日の朝は教会の礼拝で祈る。そして午後から仕事だ!3月はもう休めない。働くことができるのはなんて幸せなことだろう。1年前の春は、西日本が東日本を支えるという気概でみんな働き、節電をしていた。明日からまた気持ちを新たにがんばる。