[ 2012.06.03 ]本・映画・演劇・美術・音楽
国立民俗学博物館で6月19日まで開催されている「今和次郎 採集講義 考現学の今」に行ってきた。古代の調査・研究をする考古学に対して、考現学(こうげんがく)とは、現代の人の暮らしの一切を観察して記録し、分析するという意味で使われている。
今和次郎は民族学者で「日本の民家」の著者である。スケッチの上手な民家研究の第一人者という程度の知識しかなかったが、膨大で多彩なスケッチやノートを見て、認識を改めた。彼が観察したものは、東京の街を歩く人の着物の模様、履物、髪型。庶民の食事、労働者の寝姿、物の値段、散歩で出会った犬。とにかく、目の前にあるものを片っ端から見る、見る、描く、描くのだ。
大正・昭和初期の風俗を記録した写真もあるが、写真の前では足は止まらない。手描きのスケッチばかりに目がいく。絵に書き込まれた小さな文字の「蚊ガトンデ居ル」というメモまで目を凝らして見ていると、ある風景から、彼が目を留め、切り取ったものを、彼のまなざしで見ることができる。それは写真も同じだが、手書きの線や言葉は別の視点を与えてくれ、その発見が楽しいのだ。観察はしつこく、記述の細かさは病的ではないかとさえ感じるほどなのだが、人々を観察するまなざしは暖かく、表現に上品なユーモアがある。デッサン力だけでなく、デザイン力、発想の自由さには驚くばかりだった。
関東大震災では、震災バラックのスケッチがたくさん残っている。トタン、土管、卒塔婆まで、あるものは何でも利用して作ったバラックは悲惨な状況ではあるけれど、人々の、どっこい生きてる生命力、開き直って突き抜けた明るさが伝わってくる。今自身も9坪の最小限の仮住宅を建てている。この震災バラックを東北の大震災と重ねたとき、今の仮設住宅の味気なさが浮かびあがってくる。バラックよりはるかに上等な建物ではあるが、提供者にとって都合よく、あてがわれて収容された住まいで、人々は生気を奪われている。仮設住宅を提供するシステムがどこか間違っていることは確かだ。過去の記録は現代の課題をあぶり出す力がある。よりよい今を考えるために、過去を見直すことは重要なのだと気づかされた。この展示会のちらしの最後にこんな文章がある。
「ライフスタイルやモノと生活の関係が急速に変化する現在、そして些細な日常のいとおしさに気づいた今、モノに着目して身近な風俗の一切を丸ごと記録することの迫力とその意味を、あたらためて考えます」
時間があればぜひ、足を運んでください。展覧会の内容はほとんどこの本に掲載されています。本屋さんで立ち読みされるとき、震災バラックはP.106です。