『原子力神話からの解放』 高木仁三郎 (その2)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所|大阪の建築構造設計事務所

トーチカ通信

[ 2012.06.15 ]原発・福島・東北

『原子力神話からの解放』 高木仁三郎 (その2)

本書は原子力にまつわる9つの神話を一つずつ解説している。勉強を兼ねてポイントをまとめてみる。

1. 原子力は無限のエネルギーであるという神話

核燃料となるのは天然ウランの中に0.7%だけしか含まれないウラン235である。天然ウランの埋蔵量が限られているとなると、その1%も使えないウランは無限のエネルギー源にはならない。そこで次に生まれるのが、高速増殖炉という神話。高速増殖炉でウランからプルトニウムを増殖させると、天然ウランの約60%まで利用率が上がり、石炭、石油より飛躍的に豊かなエネルギー資源となる計算になる。

しかし、高速増殖炉「もんじゅ」は1995年にナトリウム漏れと火災事故で停止中。世界各国の高速増殖炉でも事故が相次ぎ、開発は停止。神話はすでに崩壊している。

2. 原子力は石油危機を克服するという神話

原子力の商業利用、とりわけ原子力発電は、そもそも核兵器のために開発された技術の「平和利用」という政治目的をもって、冷戦時代に導入された。日本に登場するのは1960年代。

通常の産業技術は、産業経済的な必要性から生まれてきた。たとえば蒸気機関や内燃機関などがそうである。技術はステップバイステップで発展し、社会で試され、改良されながら経済的に成立するかというチェックを受け、社会に適合する技術だけが定着してきた。しかし原子力は、いきなり政治的に開発すべきである状況が与えられた。その点で、他の産業技術とはまったく成立の仕方が異なるのだ。物理学者の湯川秀樹は政治主導的に原子力を導入する過程に関しては、非常に批判的であったということだ。

1960年代は石炭から石油へという時代。高度成長期はエネルギーとしての石油依存が強まっており、原子力への依存を考えている人はほとんどいなかった。

1973年にオイルショックが起きる。それを原子力推進側が政治的にうまくとらえて、原子力を電力の主流のように持ち上げる動きが現れる。

「石油危機を克服するための原子力」というのは政策であり、もし1973年の時点で、エネルギー開発が多様化の方向に進んでいたとしたら、もっと早く風力や太陽光エネルギーや、燃料電池に関する技術開発が進み、それらがエネルギーの主流になっていたかもしれない。原子力依存は政策の結果であって、原子力の優秀さのゆえではないということだ。