福島レポート2012年夏 (その2)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2012.08.27 ]原発・福島・東北

福島レポート2012年夏 (その2)

建物は残っているのに放射能に汚染されたために人がいない。その街で建築に関わる私たちに何ができるのか。これはこれまで設定したことがない問いだった。

事故の重大さが徐々にわかってきた当初は、人々の健康を第一に考えるなら、原発から 50km圏内は強制退去をして、汚染された土地はあきらめて自然に還すしかないと思っていた。原発の事故処理は続けなければならないけれど、危険を冒してまで街を除染し、そこに人を戻そうというのは間違った政策ではないのかと思っていた。しかしあれこれ考え、議論をしている間も、危険を承知の上で残るという判断をして、線量の高いところで何万人という人々が暮らしている現実を見据えると、その人々の心に寄り添うことから始めるべきではないかと私自身の考え方が変わってきた。

昨年の秋に郡山の仮設住宅を訪問し、放射能のことを勉強した上で、今年の夏に南相馬市と福島市を訪れた。今では、もしこの大阪の街が同じ状況になったとすれば、たぶん私は残るだろうと思う。たかだか数日の滞在で何がわかると言われそうだが、現地に行かないとわからないこともある。このレポートで伝わる文章にできる自信はないが、書けるところから書いてみようと思う。

その街で建築に関わる私たちに何ができるのかという問いにつては、まず、伊藤、萩森、岡田による『まち家具@南相馬』プロジェクトを紹介する。南相馬市の中心部の原町区は原発から半径20kmと30kmの同心円の間にある。ホットスポットはあるが、原発から約 60km離れた福島市内よりも線量はずっと低い。

彼らは街の公園に着目した。どの家からも徒歩5分圏内に都市公園がある。公園は先行して除染されているので、公園の中央では0.1μsv/h程度まで下がっている。安全なのだが利用する人はほとんどいない。一方で、除染が行われていない私有地のアスファルトの広場で、イベントが行われて多くの人が集まっている。昨年の秋に、そのような矛盾した実態を見た彼らは、安全な公園を、人が集まる公共性の高い「場所」にして、公園をネットワーク化することで、街を活性化できないかと考えた。

街が残っているなら、新たな建築を作る必要はない。安全な場所で人々が安心して快適に過ごせることを示すだけでいい。彼らは手始めに、公園で使う家具を提供しようと考えた。既製の家具ではない。公園にある遊具にデザインした部品を装着することで、遊具がテーブルと椅子や、テントのような半屋内空間に早変わりする、そういった部品の提供である。取り外しは簡単で、住民が自由に部品を持ち込んで作れることがポイントである。歩いて5分の公園を家具でアレンジして「今必要なこと」ができる場所にしようというのだ。

たとえばカウンターがあれば、立呑みやカフェになる。大きなテーブルは大勢で食事ができる屋外リビングのテーブルになり、子供が宿題をいっしょにする勉強机にもなる。風除けテントはフリーマーケットのブースや将棋やマージャンにも使える。まず、大阪の公園で実際に作ってみて、大人や特に子供が実に楽しんで使ってくれたことでいけると踏んで、そのアイデアをちらしにまとめて、現地に持ち込んだ。