地下発電所 「税金の話」 (前半)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2012.09.30 ]地下発電所

地下発電所 「税金の話」 (前半)

村上さんは最初に、「税金の話は、ミクロでもマクロでも、3、40分で話すのは無理です」とおっしゃった。そして、事前に送っておいた参加者名簿を見て、話題をアレンジし、17年間のサントリーでのサラリーマン時代の話から始められた。

サントリーは『やってみなはれ』の精神が息づく会社。入社したのは1978年。法学部出身なので、法務部に配属された。

その頃のサントリーはウイスキーのシェアをほぼ独占していた。それが「寡占は悪」の精神に基づく独占禁止法にひっかかる。市場占有率が高い会社は、自由競争を妨げるという理由で、会社を分割する対象に挙げられた。サントリー、キリン、新日鉄、富士フィルムなどが標的になった。1977年、佐治社長が国会に参考人として召喚される。そこでの佐治さんの名言がこれだ。「サントリーのシェアは企業努力の賜物。全ての製品に私が全責任を負っている。企業を分割せよというなら、私の体を2分していただきたい」

サントリーは生活文化を創ってきた。高度成長期には、バーにボトルをキープして飲むというスタイルが生まれ、「ダルマ」の愛称の『サントリーオールド』は爆発的に売れた。出荷制限をかけたほどだ。一方のビールは業界で8~9%のシェア。その後10%まで増えるが、その頃の『純生』はオールドと抱き合わせで販売しないと売れなかった。

酒屋は免許制で、その商圏は距離制限で保護されていた。定価販売で、小売店では5千万円ほどの売り上げで20%近い粗利があった。ところが販売の自由化で、ディスカウントショップで酒を売る時代が来る。低価格競争に勝てない町の酒屋はどんどん潰れた。

アサヒビール中興の祖といわれる樋口廣太郎が、住友銀行からアサヒビールに社長として就任し、ビールの「フレッシュ度」を追及、1987年に『アサヒスーパードライ』が誕生する。発表当時、あの味は業界では売れないと言われていたが、爆発的ヒット。先行者利益で、出遅れた他の3社の追随を許さなかった。

特許、技術新案、商標登録、意匠登録にまつわる話。商品は、パッケージとネーミングが重要。オールドは「古い」という意味なので、商標権が取れない。苦労したが、「サントリーオールド」で落着した。スーパードライも同様に「アサヒスーパードライ」で取得した。角瓶のボトルのデザインはどうしても意匠登録ができなかった。あのヤクルトのパッケージも登録できていないということだ。

ビールの税金は意外に高い。従量税なので1リットルあたりで税金が決められている。  350mlの缶ビールにかかる税金は77円。210円のうち1/3が税金だ。缶ビールを1日に3本、1ヶ月に20日飲むと考えると、1年で払う税金は5万5千円になる。

ドイツのビールは麦芽は100%と決まっている。一方、日本は麦芽が2/3、副原料が1/3。サントリーは麦芽100%にこだわり『モルツ』で勝負していた。しかし、販売の自由化で低価格化が進み、税金の高いビールは利益を出すのが難しかった。

日本の酒税法では麦芽の量で税金が違う。350mlの場合、麦芽が67%以上のビールなら77円だが、25%未満の発泡酒なら37円である。そこに目をつけ、誕生したのが発泡酒の『ホップス』である。発泡酒ではサントリーが先陣を切り、発泡酒の売れ行きが急増した。ところが、発泡酒が売れ出すと、国税庁は酒税法を改正して、税金を上げようとする。企業努力を税制が後追いをし、追いかけっことなった。

さて、ウイスキーに話は戻る。ウイスキーはさらに税率が高かった。しかし日本は外圧に弱い。スコッチ協会などの外圧によって、酒の自由化と輸入ウイスキーの大幅減税により、海外の高級ウイスキーに手が届くようになる。それまで贈答品だった1万円のジョニ黒が3千円ぐらいになり、逆に価値が下がって売れなくなるという事態も起きた。

1980年代に入って、焼酎ブームがやってくる。軽い酎ハイは女性にもシェアを広げた。同じ蒸留酒でも、焼酎にかかる税金はウイスキーの1/6。焼酎は南九州が本場である。二階堂進ら自民党の議員が地元の権益を守っていたという説もある。1982年にサントリーも『樹氷』や『それから』を発売。その後、税制改革でウイスキーと焼酎との酒税格差はかなり解消された。

人気が衰えていたウイスキーはハイボールブームでまた息を吹き返し、売れている。

以上が前半のお話だ。興味深い内容だったので、はしょれず長くなった。お酒をテーマにしぼって、1970年代から現代にかけての世相を振り返るという試みがとても面白かった。苦手な経済の話が、自然に理解できる仕掛けがあって、税制のことも少しだけわかった。後半に続く。