木村正樹さんのこと|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所|大阪の建築構造設計事務所

トーチカ通信

[ 2013.05.11 ]トーチカのイベント

木村正樹さんのこと

木村さんと初めて会ったのは、1994年の孫雅由(Son Ah-Yoo 1949~2002)展だった。場所は西脇市岡之山美術館。磯崎新が横尾忠則のために設計した美術館である。

受験のときに孫さんにデッサンを習ったという友人から連絡があって、インスタレーションを手伝った。その日が初日だったような気がする。

訪れた人が、孫さんの未完の絵に、少しずつ描き足して、一つの作品に仕上げるという部屋があった。先日、木村さんが撮っていた写真をもらった。壁に向かって赤い絵を描いているのが私で、隣に立っているのが孫さんである。

芝生の広場では、大きな輪になって座り、いろんな物を楽器のように使って音を鳴らした。孫さんが、輪の中に、ペイントした石を並べて作品を作った。よく晴れた、穏やかな日で、のんびりとボンゴを叩きながら見上げた青空の高さを今も思い出すときがある。

1994年は京都の東山今熊の孫さんのご自宅に何度かお邪魔している。解放区に迷い込んだような、不思議な時間が流れていた。夏だった。孫さんの家に、仲間が集まって、思い思いに過ごしたあと、お風呂屋さんに行って、湯上りに、はも鍋を食べた。そこにも木村さんがいた。木村さんは静かだが聞き取りやすい発語をする人だった。

その年の暮れに、なぜか孫さんと二人で七条の国立博物館に行った。そのときのことを年賀状に描いたので、今もあのがらんとした人気の無い博物館の薄闇に沈んでいた、李朝の白磁の「白」をはっきりと思い出すことができる。

孫さんは在日韓国人の2世だった。その作品は海外で高い評価を得ていたが、芸大出身の奥さんと二人の娘さんを残して、2002年に癌でなくなった。

1994年当時、木村さんは関西に住んでいた。1984年に孫さんに出会い、強い影響をうけ美術を志したという。灘で個展を開いたときに案内をもらって出かけた。日本家屋の薄暗い2階の部屋で、キューピー人形の妖しさにドキッとした。

木村さんはその後、故郷の秋田に引越しした。年賀状のやりとりだけは続いていたが、
今年の3月、トーチカ通信を見たといって、電話をもらった。お話するのは19年ぶりだった。記憶の中のあの声だった。

孫さんの話になった。木村さんは、韓国の光州市立美術館での回顧展「孫雅由-魂の響き」(2006.9.8-2007.1.31)にも行ったという。 これは木村さんが撮った光州展の写真である。左の女性が孫さんの奥さんの桜井和子さん。知らなかったが、作品をいくつか買っていた木村さんは、孫さんが亡くなった後、撮りためた写真、資料といっしょに、全部コレクターに寄贈したという。少しでも多くの人に見てもらいたいから。

そして、トーチカで作品展ができないだろうかと言われた。トーチカが役に立てたら嬉しい。どうぞ、ぜひ!と即答すると、雪解けを待って、車に作品を積んで行きますということになった。

木村さんの作品は一見すると、廃品かと思われるものを立体的に組み合わせたアッサンブラージュと呼ばれるものである。その一つをフライングでお見せしよう。今回の作品は、1.17、9.11、3.11など、私たちがこの20年で遭遇した大きな社会的事件を経て、今、一緒に考えたいことが表現されている。

楽しみだ。たくさんの人と、木村さんを囲んで時間を共有したいと願っている。