[ 2014.08.16 ]憲法・平和
子どもの頃から毎年聞かされているので、見たように書くのだけど、1945年の8月14日は大阪にB29による最大規模の爆撃があった日だ。大阪城公園にある大阪ビジネスパーク(OBP)は私のジョギングコースだが、そこに当時、東洋一の規模と技術を誇る砲兵工廠があった。それは、14日のB29、150機の編隊による集中爆撃で、一瞬のうちに破壊された。投下された1t爆弾は700t。アメリカが撮影した爆撃の写真を下のHPから拝借した。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001220032_00000
もちろん、周辺の民家にも爆弾は落ち、多くの人が亡くなった。特にJR京橋駅では列車に落ちて、300人以上の人が犠牲になった。駅では毎年法要が営まれている。
砲兵工廠と我が家は直線距離にして800mほどである。この写真の黒煙の下で破壊と殺戮が行われており、そこに私の祖父母や父がいたのだ。近くに1t爆弾が落ちると、防空壕の中の水を入れた一升瓶が、ロケットのように垂直に飛んで落下するほど地面が揺れたという。そして爆弾とともに落下したビラには「お国の政府は降伏して戦争は終りました」と書かれていた。これはどういうことなのか。
ここから先の話は、同じ黒煙の下で逃げ惑った小田実の文章で知ったのだが、アメリカの1945年8月11日の新聞には、「日本降伏」とともに「大統領が天皇存続を決めた」と報じられていた。つまり、我が身はどうなろうと国民の惨状を見るに忍びずという「ご聖断」を下す前に、天皇の命は保障されていたということだ。日本政府は原爆投下のあと、ついに降伏の内意を連合国側に通告するが、国体=天皇制の維持という条件をつけていた。それが保障されてもなお正式回答をしぶる日本政府に圧力をかけるための、14日の空襲だったのである。
天皇の命乞いのために、この日殺された無抵抗の人たちの意味のない死は何だったのか。大阪の人間として、この1点だけでも昭和天皇を許せずにいる。
大岡昇平は8月10日にフィリピンの収容所で敗戦を知り、12日に「天皇存続」を知る。『俘虜記』の中で、「俘虜の生物的感情から推せば、8月11日から14日までの4日間に、無意味に死んだ人達の霊にかけても天皇の存在は有害である」と書いている。彼は、日本芸術院賞を辞退した気骨のある作家である。
国民の幸福より国体維持を優先した日本の政府の体質は、今も変わらない。福島の原発事故を解決済みと宣言し、オリンピックを誘致した安倍政権が、国民一人一人のつつましい幸福を願えるわけがない。戦争ができる国にならないよう、次の総選挙でどうすれば倒すことができるのか考えなければならない。
大阪砲兵工廠に話を戻すと、戦後、鉄の塊の廃墟となった敷地は不発弾もあり危険だということで、20年間手付かずだった。鉄くずを求めて侵入するアパッチ族のことは、開高健の『日本三文オペラ』や梁石日の『夜を賭けて』に描かれている。興味があれば、ご一読を。