20年目の阪神大震災の日に|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2015.01.18 ]構造デザイン

20年目の阪神大震災の日に

昨日の午後は戦前長屋の改修工事の現場にいた。長屋は天王寺から路面電車に乗って3つ目の、東天下茶屋駅から東へ5分ほど歩いたところにある。熊野街道沿いに昔の面影を残す静かな下町だ。はっぴいえんどの「風街ろまん」の世界である。こんなドーナツ屋さんがある街の話はまた別の機会に譲り、今日は仕事の話です。

老朽化した4軒長屋の2軒が空家になったので、家主さんが地震に備えて耐震改修をする決断をされた。私の役割は、地震に対してどのように建物を補強し、住む人の命を守るかを考えることだ。建物を守ることは、こうした街の風情や文化を守ることに繋がるので、残そうと決断された家主さんを応援したい。

長屋の改修はこれで7棟目だが、今回初めてj.Pod耐震シェルターを投入した。(下写真)
j.Pod耐震シェルターとは、万が一建物が地震で倒壊しても、生存空間を確保するために挿入する強固な木製の箱の小部屋で、10年程前から同業者の樫原健一さんと開発してきた。設置を希望する人は、大阪市に申請すれば、1つのシェルターにつき工事費の50%(上限100万円)の補助金がもらえる。

今回は空家になった2軒しか工事ができないので、どうしても補強量が不足し、大地震時に倒壊する可能性が高い。そこで1軒に1個ずつシェルターを設置した。ここに逃げ込めば命だけは助かる。残りの2軒も補強工事をすれば、長屋全体を倒壊から防ぐことがきるので、資金ができれば少しでも早く工事をしようと話している。

1995年の震災当時は事務所を開設してまだ6年。大きな建物の設計が少なく、被害がほとんどなかったので、事務所は開店休業にし、スタッフとFMラジオで情報を集め、必要とされている避難所に水や紙おむつを運んだ。

阪神大震災の死者のほとんどは木造住宅の倒壊による圧死である。初めて現地に入ったとき、木造の被害が集中していたところは、地面に火がくすぶっているところもあり、靴の裏が暖かかった。崩れた家の傍らにはお線香が立てられていて、さみしい匂いが漂っていた。

その頃はまだJSCA(日本建築構造技術者協会)には入会していなかったが、何か手伝えることはないかと事務局を訪ねた。案の定、会員の皆さんは社内対応で忙しかったので、対策本部の立ち上げを手伝った。電話番をして、全国からボランティアに来て下さる会員のリストとスケジュール表を作り、一緒に現地で被災度判定を手伝った。

忘れられないことがある。電話番をしているとき、被災地からの電話を何件か受けたことだ。住まわれている木造住宅の相談である。建物の状況を口早に説明されてもわからない。「余震もあるので、不安に感じるなら、とにかく避難してください」としか言えなかった。

一般的な木造住宅は、構造計算が不要なので、構造の専門家に設計の依頼はない。だから設計の経験がなく、木造のことを聞かれてもわからないのだ。緊急時に役に立てないことが情けなかった。

木造の勉強をし、老朽化した住宅の耐震改修を地道に続けるのはその体験が原点にある。補強すれば財産は守れなくても命は救うことができる。「命を守る設計」は、あの震災の現場を見た者の使命だと思う。今日、現場に行くことになったのは偶然だったが、「励みて続けよ」という天からのメッセージと感じた。