ベトナム社会主義共和国のこと(その1)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2015.03.08 ]地下発電所

ベトナム社会主義共和国のこと (その1)

第34回地下発電所は、直前の案内にもかかわらず14人の皆さんが集まって下さって、ベトナム尽くしの5時間を過ごした。テーマは今年の1月にハノイに開港した「ノイバイ国際空港」だったが、現地の暮らしのミニレポートも途中にはさまり、現在のベトナムをさまざまな視点で考えることができた。

50年代に生まれた戦争を知らない世代にとって、ベトナム戦争はリアルタイムで見つめた最初の戦争である。「反戦と平和」という思想はあの時代の空気感とともに血肉になっている。だから今のベトナムの話を聞いていても、あの戦争が隠れたレイヤーのように頭のどこかにずっと潜んでいる。

ベトナム戦争が終結したのが1975年。翌年に南北統一を果たして、ベトナム社会主義共和国が誕生する。1978年のベトナムのカンボジア侵攻で、「世界の同情と共感は幻滅と反感に変わる」が、問題が解決して次の大きな転機になるのは1986年のドイモイ政策の実施である。ベトナムはそれまでの計画経済を放棄し、市場経済に舵を切った。それは1978年から中国で始まった「改革・開放」に遅れること8年。1986にゴルバチョフが書記長に就任し、グラスノチス、ペレストロイカを始めた翌年というタイミングである。

2007年にWTOに加盟したあたりから経済が急成長し、航空旅客輸送量の急増によって空港建設が急がれていた。ノイバイ国際空港は2007年に開港したホーチンミンのタンソンニャット空港に次ぐベトナム第2の国際空港で、事業には日本の政府開発援助(ODA)で総額約590億円が円借款で提供されている。設計は日本空港コンサルタンツ(JAC)、施工は大成建設と現地のゼネコンのJVである。

外務省のHPを見ると、2005年度以降、日本の対ベトナムODAは年間1000億円を超えている。主な目的はインフラの整備である。私は2008年に稲垣さんの案内で開港したばかりのホーチンミンの空港を見せてもらったが、今回のお手本となったその空港も日本のODAによる円借款で、設計はJAC、施工は鹿島・大成・大林・前田の日本企業によるJVだった。主要部材となる鉄骨は、ホーチンミンでは韓国から輸入し、ハノイでは中国から輸入している。

ホーチンミンの空港から約10年。開発途上国の自助努力を支援するというODAの目的を考えれば、ハノイのプロジェクトの体制はもっと現地主体でもよかったと思った。JICAで働いていた友人に聞いてみると、「ホーチンミンの空港はオール日本のゼネコンだったようだけど、ハノイは国営のゼネコンとのJVだったから、現地化へのシフトは進んでます。経済力や人材開発の進歩だけでなく、海外ODAに対するベトナム政府のイニシアチブがしっかりしてきたあらわれです。」という返事が届いた。ODAの予算が日本の建設産業に還流するというシステムについても、課題はありそうだが、よく知らないままの早急な判断は控えておこう。