[ 2015.11.03 ]構造デザイン
この夏、日本構造家倶楽部から「日本構造デザイン賞」という、建築の構造技術者に贈られる賞を頂いた。これは「松井源吾賞」を継承する賞で、構造設計において独自性のある技術をもって、社会的、文化的に価値ある建築の創造に貢献した「個人」を表彰するものである。
私はこの上の写真の「行橋の住宅」(撮影:岡本公二)の構造設計を通して受賞に至った。建築の設計は、建築家で友人の末廣香織さんと末廣宣子さんである。17年前に出会い30以上の建築を一緒に設計させてもらっている。受賞は彼らのためにも嬉しいし、設計を頼んで下さる施主の信頼にも繋がる。受賞によって桃李舎のプレゼンスが上がることは、スタッフやOBの励みにもなるのでほんとうにありがたい。
受賞式は8月28日に東京で行われた。受賞者は30分の記念講演をすることになっていた。高齢の父を、私の講演を聞いてもらう最初で最後のチャンスかもしれないと思って、連れて行った。その日は大阪でJSCA関西主催の構造デザイン発表会があって、スタッフの貴田が発表するので、事務所のみんなはそちらの応援に行っていた。それで父の付き添いを妹を頼んだ。
受賞記念講演では何を喋ろうか考えた。私は2006年にJSCA賞作品賞という構造の賞を頂いている。そのときも30分の講演があった。2006年は耐震偽装事件で構造技術者がもみくちゃにされた年である。受賞作品の説明の前に、5分間、自分の思いを話した。その後の祝賀パーティで、たくさんの方がその5分間のスピーチがよかったと言って下さった。その記憶があるので、皆さんに聞いてほしいと思うことを話そうと考えた。
この賞には特別な思いがあった。先に書いたように、この賞の前身は「松井源吾賞」である。松井源吾(1920-1996)は、日本を代表する構造技術者で教育者でもあった。賞が創設された1990年は、まだ構造技術者という職能が、社会的に認知されていない時代だ。優れた建築作品とその建築設計者を表彰する制度はあっても、協働した構造設計者には光が当たらなかった時代である。構造設計者を顕彰することによって、建築における構造設計の役割を社会に知らせ、構造技術者という職業を選択する人たちを励まそうというのが賞の創設の目的であった。
私が修行した川崎建築構造研究所の所長の川崎福則は、JSCA関西の前身の構造家懇談会の立ち上げに尽力した人だ。構造技術者の職能の確立を死の間際まで願っていた。私は川崎さんを通して、松井源吾という構造家を知り、その構造計画を学んだ。だから、私の職業人生の最初に出あった人の名前のついた賞にはさまざまな記憶が結びつく。
「日本構造デザイン賞」は「作品」ではなく「個人」を表彰する賞なので、講演は「行橋の住宅ができるまでのこと」と題して、この仕事を通して、私のことを知ってもらえる構成にしようと考えた。常々、設計というものづくりのプロセスには、その人の生き方が表れると思っている。どのように設計したかを話しながら、どういうことを感じ、考えながら生きてきたかを話せるはずだと思った。そして、そう話せたと思っている。父への小さなプレゼントと関西流の笑いの中で。
受賞式の会場で友人や恩人の顔を見たときは、胸に喜びがあふれた。関西から駆けつけてくれた同業者の友人の、「関西の若手の励みになります」という言葉も嬉しかった。遠くで暮らす人にも嬉しい報告ができた。
祝福してくださった皆さん、ありがとうございます。これからも頑張ります。どうぞよろしくお願いします。受賞講演を機に、振り返って考えたことは、いつかこの通信の連載で書きたいと思います。また読んでくだい。