OSK日本歌劇団とサクヤヒメ|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2017.02.18 ]本・映画・演劇・美術・音楽

OSK日本歌劇団とサクヤヒメ

第1回サクヤヒメの会は、大阪サクヤヒメの一人であるOSK日本歌劇団のトップスター、高世真央さんの計らいで、OSKの舞台を鑑賞した後、近くのレストランを借り切って懇親会をするという企画だった。

OSKは大阪松竹歌劇団の略で、宝塚歌劇団、松竹歌劇団(SKD)と並ぶ3大少女歌劇団の1つである。創業は大正11年で、大阪劇場(大劇)を本拠地として華やかな舞台を繰り広げてきた。これは1930年、大阪松竹座「松竹大レヴュウ」のポスター。

母は若い頃、宝塚のファンだったがOSKも好きで、「大劇(だいげき)の実演」がいかに素敵だったか、うっとりと遠くをみつめる目でよく話してくれた。

今回の劇場はアベノハルカスの中にある近鉄アート館。座席は作家の玉岡かおるさんの隣だった。玉岡さんも特別賞を受賞されたヒメのひとり。OSKの大ファンだそうで、初対面にもかかわらず、開演までの短い間に、OSKの魅力や宝塚との違いを熱く語って下さった。

OSKは近鉄が経営に参加して、拠点をあやめ池遊園地に移したけど、支援が打ち切られて2003年に一旦解散したこと。でも団員有志ががんばって再結成して今に至っていること。専属の劇場がないから、今日のような小ホールで公演していること。「宝塚と違って、客席と舞台が近いのは魅力よね。若い劇団員にも台詞があるし。今日の脚本は売れっ子のはやみさんだから面白いわよ」などなど。

確かに脚本が良かった。物語が重層的で展開が読みきれず、最後にあーそうか!とすべてが腑に落ちる構成だった。主役の真央さんは男役。オーラがあって美しい。でも主役の傍らでエネルギッシュに歌い、踊る若い人たちにもぐいぐい引き込まれた。こういう世界は知らなかったけど、ハマル人の気持ちはわかる。歴史ある大阪の劇団OSKを私も応援する!という気持ちになった。

サクヤヒメたちは講演後の舞台で役者の皆さんと記念撮影の後、アベノ界隈のイタリアンレストランへ移動した。

大阪サクヤヒメ賞は大賞を含めて17人、他に活躍賞46人に加え、特別賞が2人である。その中の有志でチームサクヤヒメを結成した。この日は事務局の方も含めて26人が参加した。乾杯の挨拶は選定委員の佐藤友美子さん(上の写真のマイクを握っている人)。

続いて森なおみさんの司会で、一人ずつ前に出て自己紹介をしたが、どの人も話が上手で、ほんとうに感心した。コンパクトにまとめているのに中身が濃く、まじめな話なのに大阪弁独特のおかしみがあって、笑いが起こる。皆さん堂々としていて、勢いがある。さすがにその世界で先頭を走り続けてきた人たちだ。

参加者名簿の社名を眺めていると、ロート製薬、大同生命、サクラクレパス、丸紅・・と、明治・大正創業の大阪の企業が並ぶ。そういった企業の管理職、あるいは、先代の後を継いで社長になった人、もしくは私のような起業家である。歳を取るにつれて、DNAを意識するようになったが、この日はとりわけ大阪人というDNAが疼いた。

前で話す一人ひとりのバックに、脈々と流れる歴史と未知の世界が広がっている。OSKを鑑賞したように、お互いの世界を案内し、刺激しあって、一緒に大阪を盛り上げていこうといってお開きとなった。

玉岡かおるさんの著書はまだ読んだことがなかったので、さっそく書店で数冊買った。今読んでいるのは建築家ヴォーリズの妻、満喜子の生涯を描いた小説である。タイトルの「負けんとき」は大阪の母と慕った広岡浅子の言葉で、「勝たなくていい。でも負けないで」という意味だ。津田梅子をはじめ、クリスチャンとして生き、道を切り拓いてきた人たちの物語に力づけられている。