[ 2018.01.31 ]森・里・海
3日目は沖縄県立博物館・美術館(上の写真)に行くために、モノレールに乗って「おもろまち駅」に降りた。那覇市の新都心である。まず目に飛び込んできたのは「Tギャラリア沖縄」という巨大な免税店だ。世界のブランドが130以上も出店していて、日本人でも免税でショッピングができる。ガイドブックによると、2002年の沖縄振興特別措置法の改正によって設けられた特定免税店制度によるものらしい。
地元の高校生らしき男子に博物館への道を聞くと、博物館まで送ってくれた。彼が言うには、沖縄は観光に力を入れているわりに、街中のサイン計画が悪く、旅行客には不親切なんだそうだ。なかなかしっかりした青年なので、基地のことを聞いてみた。「中国の脅威がある中で基地は簡単に無くせるものではないと思う。でも、認めているわけでもないです。米兵は、事件ばかりが取り上げられるけど、いい人も多く、僕は米兵がよく集まるカフェで英語を教えてもらっている」と話してくれた。
博物館からの帰りも若い人と話したくて、わざと道を聞いてみた。離島から来ている高校生で予備校に通いながら寮生活を送っていた。将来の夢を聞くと、「政治家になる」ときっぱり言った。普天間の今の危険な基地の状況を考えると辺野古への移転は仕方ないけど、固有種の絶滅が心配だとも言った。彼も驚くほど礼儀正しく、そして自分の意見をまっすぐに述べる。そして駅までの近道を同行してくれた。
二人とも、現在の沖縄の観光資源を評価していた。確かに那覇市内は買い物をする観光客であふれている。沖縄県のHPを調べてみると、観光政策課のこんなグラフを見つけた。私がホテルの建設で行った昭和62年から現在の観光収入は4倍以上伸びている。
沖縄には経済特区がある。そこでは複数の税制優遇措置があり、企業誘致に大きな役割を果たしている。日本で唯一の自由貿易地域は、沖縄を起点とした国際物流ネットワークの構築を目指している。そういえば沖縄は中継貿易で繁栄したという琉球王朝時代の歴史がある。本土とは異なる独自の状況がそこにあった。
30年前には想像もしなかった沖縄の今だった。当時はインターネットも無く、情報を入手する手段は限られていたとはいえ、ホテルの建設に疑問を抱き、構造の世界から離れた私は、なんと視野が狭かったのだろう。イデオロギーに囚われて、自分の目で見て考える冷静さがなかった。いかにも若かった。少なくともあのホテルは沖縄の人たちに受け入れられていたのだ。
沖縄の観光経済はまだ伸びるだろう。東シナ海は中国やアジアの観光客を乗せた大型クルーズ船が行きかう。クルーズラッシュともいえるほどで福岡や長崎では港が足りず、桃李舎では長崎市と佐世保市に国際フェリーターミナルを設計したぐらいだ。
沖縄の経済は基地に依存しているといわれるが、基地が無くなっても沖縄は発展できるという試算がある。今回訪れて私もそういう印象を持った。
東シナ海に浮かぶ尖閣諸島周辺は、中国との緊張ばかりが報道されて、抑止力が強調されるが、一方でその東シナ海を観光客を乗せた大型クルーズ船が行き交う。抑止力一辺倒ではなく、近隣諸国との緊張を外交努力でときほぐしながら、アジアの活力を取り込む。その努力の中で基地を可能な限り縮小していくのが現実的だと思う。
辺野古への移転は、沖縄の人にとって賛成から反対の間に連続するグラデーションの意見と感情がある。しかし基地の問題は自分たちの問題であっても決定権は政府に委ねられ、決める権利がないことが問題だ。
30年ぶりの沖縄は、若いときに心に刺さったままの棘を取り除いてくれた。どうしてこれまで行かなかったのか悔やまれるほど、海が素晴らしかった。今、デスクトップの待ちうけ画面は沖縄の海だ。今年も泳ぎに行きたい。