[ 2019.11.09 ]結婚式ができるまで
私はクリスチャンで、北大阪福音ルーテル教会に所属している。宗教改革者マルティン・ルターの信仰を受け継ぐ教会で、母体となる西日本福音ルーテル教会は、ノルウェー・ルーテル伝道会によって始められた。
彼(青木)は、日曜日に大阪に来たときは、必ず一緒に礼拝に出席してくれた。だから結婚することに決まって、水野牧師をはじめ教会の皆さんが祝福してくださった。
教会の結婚式は人生の節目に捧げる礼拝の一つと考えられている。牧師が聖書の言葉を通して結婚の意味(契約の内容)を確認し、その上で二人は神と人びとの前で結婚の契約を結ぶ。集まった人びとは契約の保証人として、神の導きと祝福を祈る。
結婚の準備のために、水野牧師から、聖書の学びを3回受けることになった。誓約をするときに、その意味を知っておくことが大切だからである。
土曜日の朝、教会の2階の教育館で、水野牧師から二人で学ぶ時間は神聖で、特別だった。最初は旧約聖書の創世記の中で語られている結婚について。
創世記は何度も読んでいるのに、二人で並んで聞くと、清らかな泉の水を飲むように、み言葉が身体のなかに染み渡ってゆく。彼が横で小さく頷くとき、その言葉は初めて聞くような感動をともなって私のなかに入ってきた。
「人が独りでいるのは良くない。わたしは(神)は彼(アダム)のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」(創世記2章18節)
「神が、二人を結び合わせられたと信じてください」と水野牧師。
調和のとれた静かな時間だった。心に浮かんだのは、コヘレトの言葉。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
こうして私たちの結婚の準備は始まった。