[ 2012.04.02 ]トーチカができるまでのこと
2011年6月24日、トーチカが完成した。午前中はまだペンキを塗っていたが、予定していた夕方のオープニングパーティにぎりぎり間に合った。エアコンはないので窓を開け、キッチンから路地に出るドアを全開し、うちわを配って汗を拭きながらビールを飲んでもらった。
いい感じで宴が盛り上がってきた頃、そっと外に出て、道路からトーチカを眺めた。お酒を飲んでいなかったので頭は澄んでいた。人は外にもあふれて、キマドを見ながら話がはずんでいる。食器が触れ合う音、途切れないざわめき、ときどき混じる笑い声が、黄色い光といっしょにトーチカから街路に溢れていた。人がおいしいものを一緒に食べるときに奏でる音というのはなんて幸福な気持ちにしてくれるのだろう。音も光も無い東北の夜の海岸を思い浮かべた。そして、ここからはるか遠くにいる人のことを想った。
無表情なスチールのシャッターが一日中下りていて、街路に対して冷たい表情を作っていたことに気づいたときから4年。車を処分し、ガレージのスペースの使い方を考え続けていて、さぁ作ろうというときに、東北の大震災が発生した。
工事中に近所のみなさんが、よく入って来られた。昔のような遠慮のない行き来が懐かしく、嬉しかった。オープニングのときにも、いろいろな差し入れをいただいた。私に似合いそうだからいといって夏物の服まで頂いた。たぶん無意識のうちに東北の震災が心に作用していたと思う。人と人の距離が近くなっていた。
あの夜、トーチカを外から眺めて、ここでいっぱいご飯を作ろうと思った。お腹をすかせた人が入って来られたら、しゃかしゃかと作って一緒に食べよう。人恋しくなった人が、灯りを見てドアをノックされたら、どうぞどうぞと招き入れ、おいしい紅茶を入れよう。そんな小さなチャペルのような空間ができればどんなに素敵だろうと思った。あれから9ヶ月。たぶん延べ400人分以上のご飯を作った。
街路に対して開いたファサードはできた。下の写真の左が改修前、右が改修後である。空間は育ちつつある。しかしまだまだだ。
今年の1月の夜更け、近所のおばあさんが、家の外で誰かを探すように立っておられた。様子がおかしいなと思って声をかけると、「聞いてほしい話があるの」と言われた。時間が遅かったし、仕事が残っていたので「明日の明るい昼間にトーチカにお茶を飲みにいらしてください」と言ってお家の玄関の中まで送った。その翌朝におばあさんは亡くなった。理念に行動が伴わない自分が情けなく、悔しかった。このことは絶対忘れるまいと思っている。