3月の記憶|桃李舎日記|桃李舎一級建築事務所|大阪の建築構造設計事務所

桃李舎日記

[ 2022.03.14 ]桃李舎日記

3月の記憶

急に随分とあたたかくなりましたが、今年は梅が咲くのが遅いです。
私は毎年この時期には、これまでのこと、これからのことを色々と考えます。
 
11年前の3月11日、私は事務所にいました。
桃李舎での初めての仕事で、2ヶ月間のお手伝いの2ヶ月目に入った頃です。
午後は所長が外出で、事務所には私を含めて3人。
揺れ始めは自分のめまいかと思いました。
けれどそれにしては揺れが大きく、いつもの交通振動とも違う。
ガレージの2階で、事務所は普段からよく揺れます。
私は普段の交通振動にもまだ慣れていなかったので、いつも少し揺れるたびに、
一瞬地震か?と周囲を見回していたくらいです。
そういう揺れとは違う、ゆったりと回るような感覚でした。
とりあえずストーブを消してから外へ出よう、火がなかなか消えない、
などと話している間、揺れ続けていました。
 
私は阪神淡路大震災を中学生の時に経験しています。
地震の事は中学の理科で習うので、地震が起きると感じた揺れの状況から、
どれくらいの距離でどんな地震が起きているのか、を考えるのがその時からの癖です。
 
長い揺れがおさまって事務所へ戻り、仕事を続けていましたが、
思い浮かぶあまりの事態に、何もできず、時間が過ぎていくことが怖く、
手が冷たくなって震えていたのを覚えています。
 
このときのお手伝いは月末に終了して、私は桃李舎を離れます。
次に私が桃李舎に来るのは、この年の11月なのですが、その後のことはまたの機会に。
 
今年の3月11日は、夫とお互い当時どうしていたかといった話をしました。
当時も話していたはずですが、記憶が薄かったり覚えていない部分もありました。
けれど話したことをきっかけに、だんだんと思い出されることも多かったです。
 
私は坂道に車を停めるとき、サイドブレーキを二度踏む癖があります。
わざわざ一回戻して、もう一回踏んで、かかっていることを確認するのです。
それは母から繰り返し聞いた、叔父の事故の話を思い出すからなのですが、
私が生まれる前の話で、私は叔父にはあったこともないのです。
 
自分が経験したことを話すことは、もしかすると誰かの記憶に残り、
誰かの何かになるかもしれない、とふと思い、今日はこの話題にしました。
 
 
スタッフH