JSCA関西サロン 女性のエンジニアの集い(その3 終わり)|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所|大阪の建築構造設計事務所

トーチカ通信

[ 2024.08.10 ]構造デザイン

JSCA関西サロン 女性のエンジニアの集い(その3 終わり)

BARを開いている間、私はずっと感動し、ずっと微笑んでいた。そんな感動の意味を、この1週間、考え続けている。毎晩、夫と飲みながら話すうちに、言葉にできそうに思えてきた。

初対面なのに、この心の開き方、共感力は一体何なのだろう。それが不思議だった。女性で建築のエンジニアという限定された共通の基盤があることは、その大きな理由の一つだろう。でも、今回はもっと根源的なものがあるように思えた。たとえば夫がつぶやいた「生命を繋ぐ性」であるとか。

20代から60代の女性たちが、生き生きと会話している姿を見ながら、建築の構造の世界に、それもこの大阪に、こんなにも女性がいたことに驚いていた。私が20代の頃、身近に女性の先輩はいなかった。

もう少し遡って10代の頃。(上野千鶴子に出会うのは、もう少し先である。)自立して働く女のモデルは本や雑誌の中にしかなかった。本棚にあった懐かしい別冊「宝島」を開いてみる。女性のための特集号のタイトルは『おんなの事典』。発行は昭和52年(1977年)だから私が18才の時だ。「新しい生き方を探している女に、今、必要な情報を集めた本を作る」という編集意図が巻頭に示されている。「当たり前とは違ったことを始めようとする時は、いつだって多少の勇気が必要だ。中世のヨーロッパだったら魔女と呼ばれて火あぶりになったかもしれない。でも、現代に生きる私たちは、魔女で結構!と開き直って飛び立とう。そんな女たちは一人ではないはずなのだから・・。」

こんな言葉に、18歳の私は奮い立ち、自分が置かれている社会の既成のシステムを疑い、そこにフェニミズムも加わって、女性でもやりたいことが当たり前にできる自由な社会を希求した。その特集号では、60年代のフェミニズムとは違い、人間性の回復や自然との共生も謳っていた。たとえば、余暇の1週間の平均時間が、世界平均に比べて圧倒的に少ない日本人男性の働き方を批判し、自然回帰や、男性との心地よい共同生活にも方法論を示そうとしていた。

それから47年。現代のネット社会では、その気になれば、世界中から情報が手に入る。それでも、この「女性のエンジニアの集い」で、エアコンも効かないほどの熱気に包まれて語り合うときの情報量の方が圧倒的に多いし、貴重だ。それは普遍的な理論や、統計的な数値ではなく、すでに体験した女性たちが、これから体験しようとする若い世代に、彼女らのために伝えたいという熱意から発せられる生(ナマ)の言葉だからだ。

そこに、バトンを繋ぎたいという「生命を繋ぐ性」の本質がある。私たちにはここまで出来たけど、こんなことが出来なかった。でもあなたたちにはそれができるということを伝えたい。私たちを踏み台にして、新しい世界を切り開く若者が出てきてほしいと願う、母性のような愛がある。

女性にはどうしても逃れられない月に一度めぐって来る憂鬱で、痛い日々。それも克服しながら仕事を続けてきた。続けていれば、こうして繋がっていける。同世代間では、今もこの仕事を続けているというだけで、分かち合えるものがある。女性たちは、短いスパンでの結果を求めず、長い時間の流れの中で物事をとらえているのではないだろうか。女性の構造のエンジニアの銀河のような流れ。その悠久の流れがいつか理想的な世界を作るというのはなんて美しい夢なのだろう。私が感動した理由は、そういうことだったのではないかと思う。

これには女性を美化し過ぎているという意見があるかもしれない。自我や嫉妬心が強く、名誉欲のある女性もいるだろう。しかしバトンを繋ぎたいという母性本能のような愛は、男性にはほとんどないのではないだろうか。

そしてもう一つ気づいたのは、別冊「宝島」の問題提起の本質は、時代が一巡りしても、さほど変わっていないということだ。男性と対等に働く職場で、ワーカホリックになった自分に気づき、人間らしく生きたいと願うこと。それは「宝島」で謳った人間性の回復である。当時は対岸の男性社会の問題だったが、今は男女共通のテーマになった。

結婚する、結婚しない、産む、産まないというテーマも同じだ。47年前は、女性が選択できる自由を求めていた。現在、その自由は手に入れたが、仕事を続けたい女性にとっては、今も大きなテーマである。それが「いつか?」というタイミングも。あの日のBARには、結婚と離婚と非婚、産む・産まない、の様々な組み合わせのモデルがあった。選択を重ねた末に、今、どの人も、その人らしく輝いている。若い人たちは、様々な選択肢があることに励まされたと思う。

このブログの(その2)の冒頭で、女性のエンジニアのサバサバと明るい感じを紹介した。そのサバサバ感が、みなさんに程度の差こそあれ、共通しているのはなぜかも考えた。

社会に出て気づく、男性と女性を隔てるガラスの壁。私が若い頃は確かにあった。そのガラスの壁をすり抜けて、男性の側で、いわゆる女性を武器に生きる人がいた。媚びることも厭わず、時代を読み、器用に男性社会のルールで生きていける人たちだ。でも、BARに集まった中堅世代は、そのガラスの壁を破って、新しい価値観で別の世界を作り、そこに男性を招き入れてきた人たちだと思う。壁を破れる強さがあり、パイオニアだから小さなことに拘っている暇がない。それがサバサバ感を醸しだす。強いから、自分の失敗を笑えるゆとりがある。だから大らかなのだ。

中堅世代の努力のおかげで、若い人たちは男女のガラスの壁を意識しないですんでいる。しかし若い人たちの周りにも、違う分断を作る壁はそこらにある。でもあそこにいた人たちは壁を越える力がある。国境という壁を乗り越えて海外に出た留学組、社会人と学生の敷居を超えてやって来た学生たち、組織を超えて繋がる若手のグループ然りだ。夕方4時にBARに行くためには、社内や家庭で超えないといけない壁もあったはずだ。でもやって来た。

つまり、BARにいた女性たちは、いわば、似た者同士なのだ。この業界にそういう人は周りにあまりいない。だから会えて嬉しいし、共感しあえる。根がまじめで勉強熱心なのも似ている。「この指とまれ」で勉強会の提案をしたら、パッと集まる。「私が知ってることなら、何でも教えるから聞いてね」と言い合える。実は弱みもあるのだが、この信頼できるコミュニティの中でなら、それもさらけ出して、一緒に克服したいと考えられる。その前向きな明るさが一緒にいて心地いいのだ。

でも気をつけないといけないのは、私たちが新しいバリアを作らないこと。このブログを読んで仲間になりたいと感じてくれた人なら、ウェルカム。ぜひJSCAに入会してほしい。

最後はJSCAへの勧誘の言葉になったが、なんとかあの日、起こったことを文章にできた。一緒に過ごした人たちとまず共有したい。世代間のギャップもまた面白い発見があるので、率直な感想が聞けたら嬉しいです。