[ 2013.05.06 ]未分類
Mさんは大正区で小さな土木・建築・プラントの施工会社を営んでいる。桃李舎を作ったばかりの頃は、Mさんの仕事を通して、それまで知らなかった社会を見せてもらい、育ててもらった。私の恩人である。
その日、電話が繋がらなかったのは、三角公園のライブの前にちょっと時間があったので、飛田の映画館で500円で3本立ての映画を観ていたからだと言われた。飛田・・ここもまたディープな場所である。
3年前、Mさんから電話があって、この日と同じ居酒屋に「来ませんか?」と誘われて出て行くと、小学校の男の先生が2人と、パレスチナのマリアと呼ばれた伝説の奥さんをもつ阿修羅さんがおられた。阿修羅さんは1970年から釜ヶ崎で自ら日雇い労働をしながら、労働者支援を行っている。
2人の先生は、その日、同和教育の勉強会で阿修羅さんとMさんにお世話になったとおっしゃった。場所柄、飛田の遊郭で働くお母さんをもつ子供たちを担任する。お母さんの仕事を知ったときに、女の子より男の子が危ない。愚れたときに、西成の三角公園で暴力団にスカウトされるケースを防ぐのがどれだけ難しいかという話をされた。その先生方は、転勤を断り、ずっと同じ場所で子供たちのために働いている。
パレスチナのマリアさんには2度、お会いしたことがある。本名はマリ子さん。1971年、パレスチナ解放闘争のさなかにパレスチナ難民キャンプで看護婦として5年間働いておられた。ある女医さんのパレスチナからの帰国報告会があって、Mさんに連れていってもらったときにそこにおられた。2回目はアジアの留学生のための下宿屋さんの打ち上げだった。阿修羅さんといっしょだった。マリアさんは今も、釜ヶ崎のマドンナである。
Mさんに、映画「シュガーマン」のラストシーンを話した。Mさんは一言、「ダンディやな」と言った。そして、日々の労働の尊さについて、含蓄のある話を聞かせてもらった。憲法のこと、原発のこと、この日の夜、私はよく喋った。
もうちょっと行こかということで、川に係留した船のバーに連れて行ってもらった。映画「泥の川」の舞台である。濃い目のバーボンがおいしかった。時々、鉄橋を渡る環状線が、遊園地のコースターのように見えた。The Policeの 名曲、Synchronicity が流れていた。後ろの堤防の内側の土地は川より低く、そこには「寄せ場」がある。ここは川がある労働者の町だ。
社会的な評価に背を向けて、一貫した信念で、社会的に弱い立場の人たちを支えて生きている人たちがいる。そういう人たちに会うことで、私は自分を見失わないでいられる。先週の礼拝の牧師の「愛には犠牲が伴います」という言葉を思い出していた。
そしてここから遠いところにいる人を想う。
4日は朝から十三に「ベアテの贈り物」と「映画 日本国憲法」を観に行って、夜は、6月からキルギス共和国に行く友人と食事をした。彼女は大学時代の演劇部の友人で、キルギスにはパッケージのデザインの仕事で行く。1年間、JICAで行っていたが今回は、向こうから請われて自分で行く。
2晩続けていい夜だった。憲法の勉強も少しできた。連休もあと一日。