インドネシア人のための日本語支援|その後の報告|トーチカ通信|桃李舎一級建築事務所

トーチカ通信

[ 2015.01.02 ]トーチカのイベント

インドネシア人のための日本語支援 その後の報告

昨年の6月14日のブログで、私の教会に通っているインドネシア人のクリスチャンが、看護師資格の取得や大学進学を目指してがんばっているが、日本語の勉強が難しいので、その支援をしようとしているということを書いたら、数名の方からお手伝いしますよという連絡を頂いた。

それで7月25日のブログで、他にも応援して下さる方があればいらして下さいと呼びかけると、4人の方が集まって下さった。なかでも元編集者で今は大学で日本語を教えている上田雅代さんがとても熱心で、教材を用意し、教え方のポイントなどを教えて下さった。

夏から月2回程度のペースで、日曜日の12時から15時まで、インドネシアの礼拝が始まるまでの3時間、みんなで勉強している。語学のレベルや試験内容が一人ひとり違うので、グループに分かれて行っている。山形健介さんは、大学受験の学生の小論文をメール交換で見てくださることになり、トーチカでは上田さん、主婦の指田和子さん、大学生の山浦梨沙さん、そしてときどき私が教えることになった。

ところが始まってすぐに壁にぶつかった。国民性かなになのかわからないが、生徒の皆さんが時間を守らないのである。最初の日は、15時10分前に現れて、「忘れていました」と言う。3人のサポーターは3時間待ちぼうけだったわけだ。私はもう頭にきて、きつい口調で「サポーターの皆さんに謝って!」と怒ったが、後味が悪かった。それからも遅刻はいつものことで、休むときも直前の連絡なので、先生たちはここに来て初めて生徒が来ないことがわかる。これが直らない。

みんな日本で苦労しながら働いて、一生懸命勉強しているので、協力したいと思うのだが、学生の無断欠席が続くと、私の気持ちが続かなくなる。サポーターの皆さんは優しいので、私が気を遣うことはないし、広い心で受け入れて支えると言ってくれるので救われている。

考えてみると、こうすれば相手はこう応えてくれるだろうというのは、こちらの勝手な期待である。この日本語支援は、クリスチャンとしての奉仕だと考えると、感謝の言葉という小さな見返りすら求めず、必要とされるときもされないときも、変わらず黙々と続けることが神様の求められていることだと思える。でもノンクリスチャンの先生方を巻き込んでいるので、もう少しなんとかしたいと考えているところである。